「第5番」の冒頭、ガシッという弦のアタックから、すさまじい緊張感が伝わってくる。しかし、ゲルギエフのこの演奏は、「第5番」が野蛮な迫力ばかりではなく、痛みを秘めた静謐さにも真髄があるということを示している。やや早めのテンポでぐいぐいと押し進める第1楽章も素晴らしいが、きびきびとしてエネルギッシュな力に満ちた第2楽章スケルツォのコーダ(終結部)で、ロシア的な道化の味が出るところはオペラ的なくらいの説得力で、すばらしい聴きものである。しかし、ゲルギエフの凄みが一番出ているのは抒情的な第3楽章だろう。寒さに震えるような弦のピアニシモは、こちらの吐く息が白くなりそうなくらい。木管の寂しい歌は深淵のように暗く、クライマックスの悲痛な訴えは心を突き刺すようだ。退屈させられがちな第3楽章がこれほど感動的な音楽になることはめったにない。第4楽章ではいたずらに暴走せず、巨人的な貫禄をみせつける。
「第9番」は、第2次世界大戦終結直後に発表され、事大主義的な戦勝記念風大曲を期待していた当時のソ連政府に肩透かしを食らわしてにらまれた因縁の曲で、ディヴェルティメント的な躁状態であっけなく終わる、奇妙な面白さを持っている。ゲルギエフは「第5番」同様ピアニシモが美しく、じっくりと落ち着いた細密的な描写で、曲のディテールまで味わいつくせるような、密度の濃い演奏を聴かせる。特に第4楽章の不気味な金管のコラールの巨大性は比類がない。第5楽章は“お祭り騒ぎ”で浮かれるというよりは、響きの重さと奥行きの深さが印象的だ。
迫力と熱狂を何よりもショスタコーヴィチに求める人には、物足りないという向きもあろう。同じゲルギエフなら「第7番」の怒涛の演奏をむしろおすすめする。しかし、ショスタコーヴィチの音楽の深みにこそ目を向けたい人には、このディスクは大きな満足を与えてくれるはずだ。(林田直樹)