ヘルダーリン⇒ヘーゲル関係を示唆する好著
★★★★★
著者は、ほんものの文献学の成果に立った大変な人だと想像する。実際、本書を読むと、まさに「ひとかわむけた」印象を受ける。というのも、90年代〜2000年代初頭を鑑みると、ヘーゲル関係の論文は、概ね、文献学で、ヘーゲルその人は何処に行ってしまったのか、ヘーゲルの哲学や思想は、何処に行ってしまったのか、と思いたくなる「文献学」の羅列で、何が目的なのか不明且つ奇怪な論文が溢れた。「マーケット」の大きな文人研究が辿る必然的な現象だった。だが、本書は、そういった「文献学」を背景に、著者自身の言葉で語り始める稀有な書物となった。「若きヘーゲル」に視点を絞って、その思想のエッセンスを手繰ろうとする姿勢は確かで、鮮やか。昔からいわれているヘルダーリンの存在が、かなり鮮やかに示唆されていると思う。その点が、本書を読んだ収穫だった。尤も、ガダマーの「ヘルダーリンへの過剰な評価」に対する警告も紹介されており、一面に流れすぎないところもいい。自分が学生の頃は、フィヒテの自我と非我の相克とシェリングの同一哲学の合体がヘーゲル弁証法だと流布されており、ヘルダーリンの影響は、感性的なものに留まるかのごとき解説が多かった。読者の私は、フィヒテとシェリングのミックスでは、ヘーゲル哲学には大分距離があると感覚的にさえ思えていたので、ヘルダーリンの影響は気になるところだった。本書では、その影響関係がかなり適切に示されていると思う。そうは言っても、本書は「入門書」なので、深くは入らず他のテーマに進んでしまうのが、ちょっと残念。でも他のテーマもなかなか示唆に富んでいて読み応えがある。大著は悪書だが、本書は短く、しかし、ヘーゲル哲学の主要部分を語ってしまう離れ業で、感服しました。ナカニシヤ出版には、もうひとつ「ヘーゲルと現代思想の臨界」という好著がある。本書と共に、自身の言葉で語った好著だ。この出版社はなかなか凄いと思う。