内容はよかったですが
★★★☆☆
内容はよかったです。
つくられた部分もあるのかもしれないけれど、グレングールドの素顔に触れたように感じました。
が、Macではエラーになって見れませんでした。
Macは3台あるのですが、どれも読めなくて、一応DVDを認識はするのですが、先にすすまず見れませんでした。
今まで、こんなことはなかったのですが、、、。
Macでは見られないようにつくられているのでしょうか?
Winでなんとか見れましたが、、、もしかして不良品?
グールドの哀しみがとても美しい
★★★★★
グールドの演奏を人前でなんて聞くものではない。
それは映画館でも同じ。
特にバッハである場合、どんな短いパッセージであっても
たちどころに涙があふれてきて止まらなくなってしまう。
前半はOff the Record、スタジオにいるグールドと別荘にこもるグールドを微妙にラップさせながら、曲想を練り上げて行く彼の姿が描写されている。
後半はOn the Record、イタリア組曲の録音風景だ。いつものようにハミングを合わせながら、またそれをエンジニアにからかわれながら、鮮やかなスケールとアルペジオが駆け上がり、駆け下りる。
白黒の映像、痩躯の彼の姿を見ていると、ひょっとしたら彼は「生まれて、生きて、死んだ」のではなく、ただそこに「居る」ためにどこかからやって来て通り過ぎただけの人のように思える。
彼のバッハはあまりにも美しい、透き通った哀しみの底に沈んでいて、そこから響いて来る音は、身体のどこかにある感情の根底にひっそりとからみついて離れない。
バッハの音の美しさは昇華されたmortalityの概念の反映だと思う。
彼が別荘でトッカータを奏でる時、時折立ち上がってはもう一度そのパッセージをハミングで繰り返すのを見ていると、それはまるで、彼が「通り過ぎる」風景の中に、バッハのmortalityを見いだして、それを自分の音の中に描きつけていったように見える。
静かに、静かに、ひっそりと
彼のバッハはつくられて、その目的に逆らうようにimmortalな存在となった。
伝説のピアニスト、健在!
★★★★★
皆さん、既に高い評価済みの様、特に記する事はない。
ただ個人的に納得できないのが、イタリア協奏曲の部分だ。
2楽章アリアのトリルの所が早すぎて、良くなくもっと遅くとしているのに、(私が持っているCDはオルガンで弾くフーガの技法とのカップリング)CDでの演奏は直していない?
また3楽章早い所で1ヶ所、弾けていない所があるのだ?
これも違うCDならば修正しているのだろうか?
ディレクター、本人が気がつかないはずは無い!?
又演奏者なら理解出来ると思うが、1、3楽章とも飛び込む様に
終止していて、あれだけ細部に配慮している割に雑である。
大きくためて終わらない所が不思議・・・・・・。
しかし、いずれにせよこの曲で右に出る演奏はないと思う。
私はそんなに若くないので、次世で本人に確認してこよう♪
こんな謎めいた所もあるのが、偉人の不思議、かつおもしろい所でもある。
若きグールドを知るための貴重なドキュメンタリー
★★★★★
原題は「Glenn Gould: Off the Record / On the Record」で、27歳のグールドの自宅での様子(前半)とスタジオ録音の様子(後半)を収めた映像で構成されている。
前半では、自宅(正確にはオリリアという湖畔の町にある別荘)でバッハの「パルティータ第2番」を練習するシーンが圧巻である。長年愛用していたことで有名なチッカリングによる演奏だが、チェンバロに似た音色とその軽快さが見る者を魅了する。
後半は、ニューヨークのコロンピア・レコードでの「イタリア協奏曲」の録音風景が中心になっている。録音用のピアノを選ぶシーン。即興演奏を披露するシーン。プロデューサーのハワード・スコットらと喫茶店での会話。「イタリア協奏曲」の第3楽章の最終テイクをスコットと聞きながら、「ここらへんがバッハのあいまいなところだね」と指摘しているシーンなど、興味深い映像ばかりである。このような録音風景が記録として残っていることは非常に貴重なことである。
後半の映像を見ながら、デビュー盤となった「ゴルトペルク変奏曲」の録音当時、オットー・フリードリックの伝記にあるように、田舎から出てきた23歳の青年が変奏曲をまったく新しい解釈で録音しているという「とんでもない」光景が、同じスタジオの中で繰り広げられていたのかと思うとつい興奮してしまう。
プロモーション・ビデオという感じ
★★★☆☆
1959年に発表された映画。内容は、販売促進のためコロンビアレコードにより制作されたプロモーション・ビデオという感じ。コロンビアは、動くグールドを購買者に見せたかったのだろう。登場人物が演出・脚本通りに動いている。1960年にグールドは、スタインウェイの技術主任ウィリアム・ハプファーがグールドに傷害を負わせたとして、スタインウェイを相手取り30万ドルもの損害賠償訴訟を起こしている。この映画が制作されたとき、すでに両者は良好な関係ではなかったはず。しかし、この映画では、グールドはスタインウェイのよい広告塔として利用されてる。グールドは一切をコントロールしたいという欲求を持っていたという。その意味で、この映画も、彼によってコントロールされているという印象を受ける。