レベルは高いが、得られるものは大きい
★★★★★
久しぶりに消化しがいのある本を読んだ。
主題となるマルクス・アウレリウスの『自省録』は、読む人によって姿を変える書の典型であろう。
それが、書物としてこれまで多くの人々に支持されながらも、哲学書としてあまり研究がなされてこなかった理由の一つでもあるはずだ。
この本は、その『自省録』を読む者に、大きく、確かな「視座」を与えてくれる。
副題にある「城塞」という単語から喚起されたのだが、さながら1部では「『自省録』の成立経緯や周辺」といった城壁が固められ、2部では「ストア派という概念におさまりきらない1人の人間としてのマルクス」という城が築かれていくようだ。特筆すべきは、その城壁の堅固さである。
その城壁こそが、これから『自省録』を研究していく者にとっての基礎となるだろう。
また、発展的読書を促すという点も特徴である。
たびたび、様々な時代の哲学者たちの言葉が引用され、知的好奇心を刺激する。
それは、哲学者に限らず、映画や小説といったものにまで及び、文章に説得力を持たせるとともに、読者の教養の幅をも広げてくれるものとなっている。
良書とは、次の読書につながる本である。そう考えさせられた。
『自省録』についての初めての本格的解説書
★★★★☆
紀元後2世紀を生きたローマ皇帝、マルクス・アウレリウス・アントニウス。彼が著した『自省録』のための読書案内として執筆されたのが本書である。評者が知る限りでは、『自省録』に関して日本語で書かれたものの中で、学術的水準の高さと、一般の読書人にも読み得る分かりやすさを兼ね備えた初めての著作である。
本書は全体として2部に分かれている。第1部は『自省録』を読むために必要な情報の提供に当てられる。具体的には、マルクスの生涯(2章)、彼の思想形成に際して重要であったエピクテトスのストア主義哲学(3章)、古代末期から現代に至るまでのストア主義の受容の歴史(4章)、『自省録』の伝承過程と英語翻訳の作成(5章)、同書の執筆目的(6章)、そして最後に古代の青銅像から現代の映画に至るまでさまざまな視覚表象の中でのマルクス(7章)が扱われる。
以上の導入的記述を受けて、第2部では『自省録』の内容が解説される。まず同書をストア主義の学説を含む哲学書として分析する(1 章)。しかし著者はこのような学説誌的なアプローチ、及び『自省録』をマルクスの内面がそのまま吐露されたものであるとする手法とは別の仕方で同書を読解しようとする。すなわち、『自省録』の多くの個所がストア哲学の三つの行為の原則の展開として読め(3章)、さらに同書自体がその原則を実践に移すための訓練の実践そのものであったことを指摘する(4章)。他の巻とはやや性格の異なる『自省録』1巻も、同じようにストア哲学を実践するための訓育として構想されていることが指摘される(5章)。このようにいわば霊的実践として『自省録』を読解することは、著者自身が認めているようにピエール・アドの研究に多くを負っている。
このように本書は近年のマルクス研究を消化した上で、平易な記述を生み出すことに成功している。またそれだけでなく、マルクスの日本での受容についてなど興味深い記述が随所に散りばめられている。ただし著者がアドに代表される先行研究に対して新たな視座を提示しているわけではないことも同時に指摘されねばならない。その意味で本書は今後『自省録』を読もうとする人にとって必読の書と言えると同時に、乗り越えられるべき課題を提示していると言えるだろう。