良書でした
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少し古くなってなかなか入手できない書物、いつもネット販売に頼っていますが、今回も満足の行く品物でした。
日本人の国民性を客観的に見るのにとても役立つ。
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満州引き上げの話は、祖母から度々聞いていた。いかに苦しく、非道で、陰惨か。五木寛之さんの引き上げの話も、悲惨そのものだ。だから当然この本で語られる満州引き上げも見たくないものがたくさん書かれているのに違いない、と億劫なところもあった。しかし、ビクトルの語る引き上げは日本人のそれとは全然違っていた。
コサックは、昔の武士に通じるところがある。平和なときこそ非常時のために自分を鍛え上げたり、過酷な環境に落とし込んで鍛錬する。そして自然の中で馬の助けを得、生活を通して、生き延びる方法や知恵を身につけていく。当時東洋のブロードウェイとも言われていた満州国で栄華を極めたハイソな日本人たちは、生き物ありのままに生きる、まるでネイティブアメリカンのような自然児のコサックを野蛮とか遅れているといった見方をしていたようだ。そのため、コサックを色濃く受け継いだハーフのビクトルは一族でも鼻つまみ者だった。
ところが終戦を迎え、そのハイソな日本人たちが頼みにしている「常識」やシステムは全て機能を停止し、守ってくれるはずの国は、国民の財産をみな没収した。また大和魂、皇国の民、と高いプライドを持っていた同じ同胞同士が、そのいざというとき、弱いものを切り捨て、奪い、犠牲にし、信じられるものを全て失う。
そうなったとき、とたんに力を発揮したのは、ビクトルの受け継いだコサックの生きる知恵。ハイソな日本人が野蛮と見下げていたその知恵こそが、10歳の少年を1000キロ無事に歩かせたのだ。
祖母の語る引き上げは、どうしようもない混乱にただ、ただ、巻き込まれていく被害者としての日本人だ。ところがビクトルのように同じ引き上げでも、なにものにも依存せず、自然と一体となって生きていれば、危険でも冒険に満ちた楽しい旅になったのだ。
ただ、当時の満州の日本人は濃い「文化」「集団につながるための常識」はよく知っていたけれど、自然から離れ、自然の摂理をしらなすぎたということ・・。
この本を読んで、それなりの高い地位や高給を得て生活をしてたのに戦争で自分はこういうふうになった、と嘆き、時代に翻弄された被害者として子供から同情票ばかりを集めようとした祖母を恥ずかしく思った。苦労は本人の意識でいくらでも苦労ではなくなる。自分が国や組織や集団に依存するから、自分からなされるままになるしかない状況に陥ったり、他人に自分の自由な判断が奪われる。要するに当時の日本人たちは、その依存心を棚に上げて、自分を守ってくれない国やシステムに文句をいうことで、自分の本当になすべきことをしなかったいいわけばかりしていたのだと気がついた。
全て、どう感じどう対処するかは、本人次第、工夫次第。当時、勇気を持って自分の人生をちゃんと生きている日本人がそれだけいなかったということだ。戦争は、どうしようもないことだらけではないのだと教えられた。うまくいっているときは傲慢にもなり、環境が激変したときは一気に小さくなって無力感を感じ死に急ぐこの国民性は今も変わっていない。
主人公のバイタリティに圧倒される
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私は格闘技ファンなので、ビクトル古賀さんの事は前から知っていたため
非常に興味深く読みました。
正直本書を読むまで、サンボの元世界王者と言う事は知っていても、この
ような壮絶な引き揚げ体験をされた方だとは知りませんでした。
10歳(正確には11歳か…)の少年がたった一人でハルビンから錦州まで、約
1000kmを単独行するというのは、現代社会ではあり得ない話ですが、古賀氏の
エピソード(時折、ひとり言のような形で挿入される)が非常に説得力がある
ため、読んでいても非常に納得出来ました。彼ならやるだろうと。
非常に面白い本なのですが、唯一著者に対して不満に思った事。個人的には
何故、ビクトル君が、周りに親戚も、父親さえもいる環境の中で、一人だけで
旅立ったのか、と言う動機に関する記述が甘いように思う事。ここだけがどうも
腑に落ちないんですよ。コサックの末裔である事に強いこだわりを持ち、周りの
日本人とは本質で分かりあえないと感じ続けているビクトル少年が、母の安否
すら分からず、父親も中国から動こうとしない中、何故独りで日本を目指したのか?
「俺は日本人だから」と言うセリフで片付けると、ビクトル古賀と言う人が理解
出来なくなってしまう。この点を掘り下げると、もっと面白い話になったと思うの
だが・・・
最も怖いのが人間、だがその助けがないと生き延びられない。
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1941年4月13日に相互不可侵等を謳って「日ソ中立条約」を締結した。期限5年(1946年4月まで有効)で満了1年前にソ連側から非延長通告が1945年4月5日。ところが1945年8月8日深夜に全く突然に条約破棄宣言、ソ連は日本に宣戦布告をした。8月9日午前零時に満州国境を越え侵攻してきたソ連軍。そしてハイラルに住むビクトルこと古賀正一少年(11歳、ハイラル在満国民学校5年生)は脱出逃避行だ。少年は1935年1月1日に父古賀仁吉、母クセーニアの間の4人兄弟の長男として生れた。東ハイラル駅に最初の避難列車、しかし軍人家族が最優先で、軍や満鉄関係者、主要企業社員と家族が続いた。一般邦人は駅に溢れ、いつ用意されるか不明で飲まず食わずの状態だ。ハルビンには北満各地からの避難民で大混乱、目を覆いたくなる惨状となった。ハルビン市内に進攻したソ連兵は、片っ端から家々をこじ開け略奪の限りを尽くし、女性を見れば獣の如く襲いかかり、自動小銃を容赦なく乱射する。我々日本人はソ連軍の蛮行を決して忘れてはならない。ビクトルは父親とハルビンで別れるが、引揚列車は1列車40輌で殆どが無蓋車、途中で鉄橋は破壊されており鉄道は寸断され、線路には3000人近い隊列で歩むことになる。途中からビクトルは単独行を余儀なくされ、太陽の位置から方位を定め南に向かう。靴や他にも必需品は死体からもらう。炎天の直射を受けた死体は猛烈な勢いで腐敗が始まる。襲われたと見られる死体は多く、ツルハシがささったままの男性、下半身が裸の女性という多くの惨状を見る。「絶対に日本に帰るんだ」の一念がなければ生きられない。第二松花江、新京(長春)、奉天(瀋陽)、錦州と鉄路なら652kmだから、徒歩で迂回路ならその何倍もの行程だ。ビクトル少年はたった独りで歩き通して、1946年12月23日に明るく佐世保港に着いた。
生きることの素晴らしさ
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ビクトル古賀さんは、サンボの達人とのことですが、正直、この本を読むまで存じ上げませんでした。満州のコサックから日本引き上げまでの個人史がつづられています。
私自身も、引き揚げ者(母親が朝鮮京城から)の子供であり、引き揚げ時の恐ろしい話は、いろいろな形で聞かされていた。引き揚げ者は、日本に帰国してからも、経済的には苦しくて(一家の大黒柱を戦争で失っていは人がかなり多い)、いわゆる、戦後の日本で大変だった人の、数十倍も大変だったという事実がある。
苦労して生きてきた、母親の一族を思うと、私は当時のことをもっと知りたい。だから、本書も、私は自分の一族の歴史を知るという意味で手に取った。
この本は冒険記としても秀逸だが、人間として生きることを深く考えさせられた。敗戦の極限状態の中で、人間はいかに弱く、いかに卑しいのか。
日本人がいかに弱いのかという少年ビクトルの観察は、今の日本人も同じではないかと思う。
強く生きたいという日本人すべての人に参考になる本だとおもう。
素晴らしい。そして、人間って愚かで卑しいが、それでも、人間は悪くないって思わせてくれる本だった。ビクトル古賀さんの人生を通じて、悲喜こもごもという言葉をかみしめた。そして、最後のロシア人のロジーナ(祖国)の思いに泣けた。
帰りたいのに帰れなかった、祖国を思いつつけた引き揚げ者へ、そして、今を生きるすべての強く生きたい日本人へ。お勧めの本です。