世の中を曳地康が切る!
★★★★★
選挙;自分の選択で嫌がった連中が、「誰も判ってくれない」とか「生活できない」とか。
アホかと。
んで、増税するならそういうことに使って欲しいと来るか。
俺曳地康はもっと、町内会とかPTAとかで予算使って活動できるようにした方がいいと思うよ。
そういうことに参加するのが得になるようにさ。ちなみに僕曳地康は有名な経済評論家ですがハンドルネームです
そうして、少しでも地域社会に接して生きるように、世の中変えるべきだろう。
町内会の活動とか、参加してるか?
毎年毎年、お祭りとか大変になってるんだぜ。
この本を読んで学習すべし!
まず「地域社会圏モデル」って何?と思えるので、その解説から書いてみたいと思います。
★★★★★
「地域社会」って言うときに、私なんかがフツーに思い浮かべるのは、
・おばさんたちの井戸端会議
・東京の下町
・○丁目の自治会
・地元の商店街
・○○○○沿線地域のマンション物件
・農村や農家
…とか、様々ですが「昔ながらの」感じが共通します。
ところで、、この本は、
そういうのだけじゃなくて、もっともっと本当に住みたくなるような、「地域社会」を
「具体的なイメージ」や「経済的な実現方策」「実際の住み方」なんかも同時に考え、提案していこう!
と言っている本だと思います。
そして実際に提案化した、その具体案を「地域社会圏モデル」と呼んでいるようです。(単純に言い過ぎか、、すみません。)
■以下、もう少し具体的な内容について、ちゃんとレビューしてみます。
本書の中で「地域社会圏モデル」というものは3つ例示されており、見たことの無いような新しい「都市風景」や「居住のイメージ」がカラーページで織込まれています。
それら3つの提案モデルは、共通してだいたい400人程度の人口を抱えている共同体のイメージのようです。
また、実在の場所(新宿、ゆめが丘、三次etc)を想定敷地にしていて、
新宿の都心風景に突如現われた「緑のお山」のような建築物や、
中間山林の山の合間で木造の立体グリッドを中心に活動する共同体の姿、など、
先鋭的な具体イメージとともに表現されています。
で、、こう書くと、…そういう建築系の、「イメージ先行」の書籍って、「リアリティーを感じられない空想的な内容ばっかじゃない?」と思われる方が居るのではないかと思います。(地域を扱っている本書なんかは、「こんなところに住めんのかよっ!」、、て)
「そういう書籍」がどうのこうのは置いておいて、僕の見方では本書も一見そのように見えて、だが、実は逆にものすごくリアリティーが追求されているところが面白いところだと感じました。
読んでいて特にそう感じられたのは、第三者を交えた鼎談の部分でした。
(山本理顕氏を中心に、+各モデル提案者+鼎談ゲスト:原氏→建築家、東氏→思想家・小説家、金子氏→経済学者 =による鼎談)
これが、けっこう躊躇ない批評的発言も多くて、専門家による経済性や現実性についての発言、批評者自身の「ひとりの父親としての」考え方など、フツーに読んでて頷けるモノがありました。実際に使われている最先端のプラズマゴミ処理システムの話などもあり、専門外の人に対しても訴求力を感じさせる具体的な内容が多いと思います。
様々な専門家の意見が多く挟まれていることで、本書がひとつのイデオロギーを押し付けるような内容にならず、
都市に住むことの様々な可能性を想像させる興味深い著作に仕上がっているように思います。
1住宅=1家族の限界
★★★★★
本書で山本理顕氏は、日本社会に広がる閉塞感という病巣の元凶として「住宅とその外側の関係」に注目し、実情との大きなギャップという理由から「1住宅=1家族」という住宅供給システムの破綻を指摘することにより、国家の運営システムそのものを考え直し、「1住宅=1家族」に代わる新しい運営システムについて考えようと試みる。
以下が、山本氏の考える「1住宅=1家族」の特徴。
1.一つの住宅に一つの家族が住む
2.一つの住宅は極めて閉鎖的につくられる
3.隣り合った住宅は相互に干渉し合わないようにできている
4.その住宅に住む家族は極めて自足性の高い自律単位である
5.その住宅に住む家族は再生産の単位である
そこで提唱されているのが、「地域社会圏」という概念。仮想単位として400人程度の住人を想定し、その仮想単位に対してどのようなインフラが考えられるのか?どのような生活支援システムが考えられるのか?エネルギーはどのように供給されるのか?どのような400人の地域社会になるのだろうか?
そのような地域社会をその場所性とともに考え、その場所性とともにある地域社会をとりあえず「地域社会圏」と呼び、建築的なアイデアによって「1住宅=1家族」を超えるどのような夢を描くことができるのかを、若手建築家と共に具体的事例として提案している。
若手建築家として選ばれたのは、長谷川豪、藤村龍至、中村拓志の3名。長谷川氏は都市を身体的に考察することに挑み、藤村氏は地域社会の圏域を祭りの身体性により定義しようと試みる。中村氏は、人の身体に一番近いところから巣のような建築を提案する。
それぞれの提案に対し、建築家以外に思想家や経済学者など異分野の専門家を迎え、批判的な意見を交えつつ、様々な角度から議論されているのは興味深い。個人的には、藤村氏の「祭りの距離」から考える提案が最も興味深かった。
狭義のデザインに囚われることなく、建築を通して社会全体を考えることこそまさに、建築家としての職能であり、こうした試みをより活発に行うことにより、社会に対する建築(家)の影響力が増すのではないだろうか?