実に、「大きなお世話」
★★☆☆☆
「私はこの本の中で、わからないことははっきりわからない、と書いた。それを、わかったふりをするのは間違いだと思う」著者は言う。そうではない、わかろうと努力することが重要なのであって、初めから理解しようとしないなら何もしないのと同じだ。
主人公はヨーロッパに赴き、風土も歴史的背景も異なるさまざまなものに触れ、「あれもわからん、これもわからん」と、大威張りで「わからん」を繰り返す。何カ月もヨーロッパを旅行して得た結論が、「何もわかりませんでした」ではまるで馬鹿の書いた小説のようであるが、本人は大真面目に、「ヨーロッパが見えた、日本が見えた」と繰り返す。何が見えたのか、読者にはさっぱりわからないまま。それが「ヨーロッパを対象化して眺める」「初めての、大人の視点でヨーロッパを見た小説」と自画自賛しているのだから噴飯もの、である。日韓ハーフの立原には日本すら見えていなかったのではないか、勘繰らざるを得ない作品である。
ヨーロッパの可視的魅力に取りつかれそこに埋没してしまった日本人を、いかに帰国させるか、の帰路を模索した小説であるが、ヨーロッパに永住しようが帰国しようが本人の勝手で、それこそ「余計なお世話」ではないのか。「この人は帰れる、この人は帰れない」と、典型的なステレオタイプな登場人物の分類の仕方をしているが、「日本人なら日本に帰るべき」という大きなお世話を、当時韓国籍だった立原がするのは僭越、を通り越した個人のエゴである。ギリシャから法隆寺に帰ってくる、という典型的観念的図式も抽象的なだけで具体性がなく、「モンパルナスから新宿二丁目に帰る」のならまだ意味はわかる、が。要は自身のヨーロッパかぶれの反動である、ということが見えて哀しい(ヨーロッパの男を「ひもの要素がある」と断言したり、行きずりのヨーロッパ娘と恋に落ちたり、の件はコンプレックス丸出しで読んでいて恥ずかしくなる)。
単にヨーロッパ帰りで箔がついた時代の残滓、としての「白豪主義思想」の強引な反動としての、まるで尊王攘夷の時代まで逆戻りしたかのような反動的内容に溢れかえった奇怪な小説である。そんな右翼的内容の小説を、在日であった立原が書いたことに、今日的意味のある、作品である。