インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

オーウェル評論集 2 水晶の精神

価格: ¥1,365
カテゴリ: 単行本
ブランド: 平凡社
Amazon.co.jpで確認
【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:ジョージ・オーウェル/著 川端康雄/編 出版社名:平凡社 シリーズ名:平凡社ライブラリー 688 発行年月:2009年11月 関連キーワード:オ-ウエル ヒヨウロンシユウ 2 ヘイボンシヤ ライブラリ- 688 スイシヨウ ノ セイシン お-うえる ひようろんしゆう 2 へいぼんしや らいぶらり- 688 すいしよう の せいしん、 ヘイボンシヤ ヘイボンシヤ 7600 へいぼんしや へいぼんしや 7600、 ヘイボンシヤ ヘイボンシヤ 7600 へいぼんしや へいぼんしや 7600
近代市民社会を生きる一市民の良心。 ★★★★★
オーウェルの魅力というのは、まさしく「良心」の一言に尽きます。彼の書いた物は、たとえばマルクスのような、良くも悪くも読んだ人間に強い刺激を与えるものではありません。むしろ、その逆、つまり思想に熱狂することを戒める、冷水のようなものでしょう。だからこそ、書かれてから半世紀を超えるはずの彼の文章は、未だ我々の現実――政治や社会との相対し方に、当てはまるのだと思います。この本の中でも『ナショナリズム覚え書き』や『聖職者の特権――サルバドル・ダリ覚え書き』などは、読んでいて思わず頷かされる点が多々あるのではないかと思われます。
たとえば、『作家とリヴァイアサン』の中で、彼はこう述べています。
「〜そして大抵の人間は、選択といえば政治的な選択でさえも、すべて善を選ぶか悪を選ぶかであって、必要なことは正しいことであるという考え方を、いまだに脱しきれないでいる。(中略)政治においては、二つの悪のうち、より小さな方を選ぶだけのことで、時には悪魔か狂人のごとくにふるまう以外に逃れる方法のないような事態もある。」
そして彼は、戦争は狂気の沙汰だがやむを得ない場合もあるし(忘れてはなりません。彼がこれを書いたのは1948年なのです)総選挙だって決して愉快な光景でもためになるものでもないだろう、と続けています。
もちろん、異論はあるでしょう。崇高な理想を掲げて政治を語る人々にとって、オーウェルの言葉は毒薬に等しい、唾棄すべきものです。そういった方々は好きに(もちろん弾圧はなしの方向で)すれば良いと思う。ただ、私は一人の市民としてオーウェルの考え方に共感するし、また理想や正義を看板にした異常な熱気というものには(というのはつまり小泉時代や、昨年の選挙に見られたものを含むのですが)たとえ自分がその考えに共感する場合でも、可能な限り距離を置いていたいと思う。それこそ、理想や政党の奴隷にはなりたくないからです。
最後に、余談ながらオーウェルは左翼政党は大抵が政権を取ってから苦戦するものだ、とも書いています。なぜなら彼らは甘い理想を語りながら、現実に政権を取ってみるとそれが実現不可能なもので、失望を買うからだとか。皮肉ではなく、何十年経とうと政治に関わる人間の態度は変わらないものなのだと感心させられてしまいますし、その上で現政権にはもっと現実を見て、自分たちのやっていることは、汚いとしても国民の生活を守るためのものなのだと自覚して、頑張って頂たいものだと強く願います。下らない権力争いや「選挙のための政治」は、可能な限り抜きにして。もっとも、そのためには私も含めた国民の意識が変わらなければいけませんし、それはとても難しいことではあるのですが。
恐れず、明晰に語る精神 ★★★★★
 長く在庫切れだったオーウェルの評論集が再刊されたのを知り、早速読み始めた。この巻はテーマを「政治と言語」と題し、著者自身ビルマ、パリ、ロンドン、ウィガン、スペインの戦場と多くの現場で状況を感じ、そこから考えを進めるスタイルで1930年代後半から1940年代の政治や文学について論じた文章を、書評四篇を含めて全十五篇収録している。タイトルは「政治と英語」「ナショナリズム覚え書き」「文学の禁圧」「作家とリヴァイアサン」など、硬いタイトルのものが多い。

 しかし読んでいくとすぐに気づくのは著者の語る言葉の生き生きした動きで、最初の「政治と英語」はその秘密を明かしてくれるエッセイでもある。常套句や引用句、装飾的な語句やあいまいな表現が引き起こす心理的・知的・感情的な弊害を手加減無しに指摘していて、圧巻の一篇だ。

 と思って読み進めていくと、最初の手加減のなさが最後の書評まで続いていることに気づく。基本的には文学者としての立場に終始立ちながらも、何らかの後ろ盾の元で語る言葉が一言もない。いわゆる「クレーム・データ・ワラント」のトゥリーとしての論理思考が一貫していて、一方で人間的な暖か味が失われてもいない。よく「オーウェルの本領はエッセイにある」という言葉を読んだが、なるほどと頷ける魅力がある。

 具体的論点については挙げていけばきりがないが、たとえば「イギリスにおいて真実の、したがってまた思想の自由の直接の敵は、新聞や映画を牛耳っている者たちと官僚である」(85ページ)といった言葉は、たった今の状況にも刺さってくる考えで、この著作を読んでいるとオーウェルがたった今耳元で話しかけているようにも聞こえてくる。

 恐れ臆することなく語りかける言葉、「水晶の精神」に触れることの出来る一冊。