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ハレンチ

価格: ¥2,625
カテゴリ: CD
ブランド: アゲント・コンシピオ
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   加藤和彦、北山修、端田宣彦の3人からなるザ・フォーク・クルセダーズという当時無名だったひとつのグループが、解散記念で1枚の自主制作盤を発表する。‘67年のことだ。だが、深夜放送を通じてこのアルバムからの曲「帰ってきたヨッパライ」が突如大ヒットし、結局グループは1年の期限付きで再結成、人気者となった。そんな、彼らの運命を決定付けたアルバムが、この『ハレンチ』である。

   モダン・フォークでもカレッジ・フォークでもないユニークな個性は当時、アングラ・フォークと呼ばれた。政治がらみの物議をかもした名曲「イムジン河」も収録されており、彼らの原点が詰まった、過激かつ鮮烈な印象を放ち続ける傑作だ。(木村ユタカ)

注目!!「帰って来たヨッパライ」にはモデルがいる! ★★★★★
そのモデルとなった人物とは、僕の母校R高校(京都府)の元 地理担当M教諭。彼は、ある深夜泥酔し、あろうことか京福電車の線路の上に大の字になって夜を明かしたのだ。幸い始発の通過時刻の前に目を覚まし、事なきを得た・・・・・。このM教諭の武勇伝を、R高校での僕の先輩にあたる北山修氏が、盟友 松山猛氏に話し、それにヒントを得て松山氏が一気呵成に書き上げたのがあの余りにも有名な「オラは死んじまっただあ〜」の歌詞だったというのでした、。チャンチャン。
収録の「イムジン河」は、朝鮮語歌詞入りバージョンです!! ★★★★★
フォーク・クルセダーズの名曲中の名曲「イムジン河」には、ふたつのスタジオバージョンがあります。
ひとつは、このアルバム「ハレンチ」収録のテイクで、途中に朝鮮語の歌詞が加えられています。
間奏もあの独特のギター演奏で、実に味のある録音となっています。
そしてもうひとつは、当時発売できなかった幻のシングルバージョンですね。
こちらには朝鮮語歌詞はなく、間奏はストリングスアレンジが盛り込まれています。
どちらもそれなりに素晴らしい出来なので、両方聴いてみるとよいでしょう。
気に入ったら、この「ハレンチ」と、
シングルCD発売されているシングルバージョン「イムジン河」を買いましょう!!
幻のスーパーグループ ★★★★★
時は1967年の12月、深夜放送でけったいな曲がかかった。最後はビートルズの「ハードデイズナイト」を木魚と一緒に歌っている。次の日、その歌の話で学校は盛り上がる。「けったいや歌やけどおもろいな」「売ってるんかな」「自主制作やいうてたで」「府立医大の学生らしい」「洛星出身らしい」・・・とまあこんな感じでした。高校2年の話です。そうこうしているうちに、この自主制作のLPを持っている奴が出てきたり、関西の高校生に勇気を与えてくれた衝撃のレコードでした。今から考えたら、「帰って来たヨッパライ」の他も結構意味深いものが多く、深刻なテーマと関西風のユーモア(加藤和彦は関西と違ったはず・・)ちょっとその辺のお兄さんバンドではありませんでした。特に加藤和彦の才能は後で大きく開花していくわけですが、その片鱗が見え隠れしております。僕は「こきりこ」の歌が好きで、民謡というものに対する新しい感覚をこれで教えてもらいました。結局、グループとしての活動は期間限定で終ったのですが、もっと恒久的に続けていたら、日本の音楽シーンももうすこし知的レベルが上ったように思います。歌詞に皮肉ありユーモアありパロディあり、そして音にも創意工夫が施せるバンドは他に見当たりませんでした。続けていたらモンスターバンドになっていたと確信します。
残念ながら・・・・ ★★★★☆
  1969年の時代状況を書きます。アメリカのアポロ11号が人類初の月面着陸をさせた年です。翌年、学生運動が盛んになって、東大受験が中止されました。金喜老さんの立てこもり事件もありました。ベトナム戦争は泥沼化し、世間が何か浮き足立っている感じでした。
 私が、中学3年のときです。
 他方音楽の分野ではBeatlesの解散がとりザたらされていました。

 そういう中に、フォー来るのこのアルバムの登場は、深夜放送を通じて聞いたものとして、時代を反映しているのか、超越してるのかは別として、極めて印象的でした。

 北山修という医学部の学生が何でこんなことするの?が率直な感想です。
 メンバーを入れ替えながら、最終形になったに至るまでのドラマは、誰かがいつか書いてくれれば面白そうですね。

 残念ながら、このアルバムの発売当時には、深夜放送で少し聞いていただけで判断できません。
端田宣彦はいません。平沼義男のオリジナル・フォークルです。 ★★★★★
加藤和彦、北山修、平沼義男の3人からなる学生フォークグループ、ザ・フォーク・クルセダーズの解散記念自主制作盤「ハレンチ」。1967年に300枚(一説に250枚)しか作られなかったLPは幻のアルバムでしたが、1991年に初めてSOLID RECORDS社からCD復刻されて大きな話題になりました。現在手に入るのがこのAGENT CON-SIPIO社盤です。どのアルバムも収録曲は12曲で、オリジナルの形を伝えています。

フォークルは、加藤和彦、北山修、平沼義男、井村幹夫、芦田雅喜の5人組で1965年に結成されました。受験のために2人脱退してトリオになりますが、途中で芦田が復帰。「コキリコの唄」は芦田が復帰した4人組時代のライブ録音です。その芦田が渡欧し再び3人組となったフォークルが、2年間の学生フォーク活動の締めくくりに1967年夏に録音されたのが本作です。

伝説として語られているのが、ライブ音源をあわせても収録曲が11曲しかなく、当時のLPの標準的な曲数(12曲)に延ばすために穴埋めに作ったのが「帰って来たヨッパライ」。あまりによく出来た話ですが「帰って来た~」が最後に録音されたというのは間違いないようです。手売りでLPを持ち込んだラジオ関西の電リクで放送されたのが11月8日、これが大反響を呼んで12月25日にはメジャーの東芝がシングルを緊急発売。「帰ってきた~」のシングルは録り直しではなく、アングラ音源(インディーズ)だった本作のテイクが使用されました。アルバム「紀元弐千年 」にも再収録されています。

このアルバムは「帰って来た~」と「イムジン河」で語られることが多いですが、笑いのフォークルと言われた彼らの持ち味が発揮された「ひょうたん島」や、自分たちの解散も歌詞に盛り込んだ「雨を振らせないで」の楽しさ、ハーモーニーの美しさも聴き逃せません。

「帰って来たヨッパライ」の空前の大ヒットで時代の寵児となったフォークルは、家業のために辞退した平沼に代わり、端田宣彦を加えて1年の活動期限付きでプロデビューします。そんな数々の伝説を生んだのが、この「ハレンチ」です。