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ヒロシマナガサキ [DVD]

価格: ¥2,940
カテゴリ: DVD
ブランド: マクザム
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本当に原爆は必要だったのか?この作品は日本人だけでなくアメリカ人が見るべきだ ★★★★★
被爆者のインタビュー、リトルボーイ、ファットマンを投下した爆撃機のパイロット、そして、当時のフィルムや写真を豊富に紹介する大変貴重な作品になっている。

この作品は、永久に広島・長崎を語る上で残していかなければならないし、是非とも学校の教材として使ってもらいたい。

アメリカは、とても単純な論理で原爆を正当化する。日本の帝国主義が、アメリカに対して宣戦した。日本が始めた戦争を少しでも早く終結させるために必要に駆られて、原爆は落とさざるをえなかった、と。

アメリカは、先住民族の頃から相手に圧力をかけつづけ、相手が「窮鼠猫をかむ」状態にまで追い詰め、噛み付いた瞬間に、「戦争をしかけられた!」と騒ぎたて、相手を完膚なきまでに叩きのめすという戦略をとり続けてきて、いまでも中東に対してやっているわけだが、その時のフィルムの一つに、元駐日大使が、「私は長く日本に駐在していたが、日本人の考え方はアメリカに対して2000年遅れている」と発言しているくだりは正直驚いた。「日本は、神道の元、神の子である天皇ヒロヒトが、国の土地や民全てを自分の所有物と考え、全世界をその支配下に置こうとしている。日本の兵隊は、天皇のために死ぬことを何よりも幸せであると考える」というメチャクチャな論理をアメリカ国民に対して広めていた。恐ろしいのは、いまでも、日本人であるわれわれが、それを少なからず信じていることだ。

この作品ではじめて知ったが、広島へ飛び立ったB29は3機あり、一機は爆弾(リトルボーイ)を搭載、一機は、投下現場を観察するための装備を備え、もう一機は、投下の様子を撮影するための機材を搭載していたという。まわりの島もすべて奪われ、上空も裸同然になってしまった日本を攻撃するのに、なんたる余裕であろうか。明らかに、「戦争を早期に終結させるため」というよりか、原爆の威力をきっちりと捉え、他国にそれを知らしめ、アメリカに歯向かうとどうなるかを思い知らせることが目的としか思えない。

この作品は、日本人だけでなく、是非ともアメリカ人に見てもらいたい。ほとんどのアメリカ人は、原爆は必要だったといまでも思っているに違いない。
戦争の意義 ★★★★☆
第二次世界大戦は未来を作ったものであり壊したものである。
正しいかどうかは当事者にも分からない。
そんな無責任かつ暴走とも言えるもの。
しかし現在の日本で未来を信じてのうのうと生きてられるのも
戦争があったからかも知れない。

正直目を覆いたくなる。
だけど背けてはいけない。
戦争の正当性なんてどうでも良い。
ただ、原爆は戦争を早く終わらせるには有効だったが
それに対する見返りは大きかった。
同じことを繰り返さないための資料と化してしまうのも
避けようのないことかも知れないけど
何があったかを学生時代に頭に入りきらなかった自分には
十分すぎるパンチ力を持つ映画でした。
制作したことに評価 ★★★★☆
原爆を扱ったドキュメント映画は数少ない…ゆえに様々な評価が出てくるのは仕方ないかもしれない。日系アメリカ人が制作したドキュメントとして観ればいい。内容的に多少、被爆者への無理解が散見されるが、それらを差し引いたとしても力作といえる。
前出コメントの自虐史観云々は幼稚過ぎて問題にならない。多様な歴史観から真実を見出す術を若者に教えることができなかった、歴史に無頓着な大人たちの責任だろう。
日本人の中から優秀なドキュメント作家が今後、出現することを願うのみである。
生きる勇気 ★★★★☆
新藤兼人『原爆の子』(1952年)
アラン・レネ『二十四時間の情事』(1959年)
真崎守『はだしのゲン』(1983年/1987年)
黒木和雄『TOMORROW明日』(1988年)
今村昌平『黒い雨』(1989年)
黒木和雄『父と暮らせば』(2004年)
佐々部清『夕凪の街 桜の国』(2007年)
スティーブン・オカザキ『ヒロシマ ナガサキ』(2007年)

ヒロシマ・ナガサキ原爆を直接的に描いた映画作品をザッとあげてみると意外に少ないことがわかる。「原爆を投下された原因は日本の軍国主義にあるのであって、実際投下した米軍には何ら責任がない」というロジックのもと、戦後25年もの長きにわたって米国による言論統制が行われてきたことが一因であることはまちがいないだろう。しかし、ナチスによるユダヤ人虐待に関する映画が毎年のように数え切れないほど作られていることを考えると、上記映画本数はあまりにも少なすぎる。(しかも内2本は外国映画というふがいなさ)

日系3世のスティーブン・オカザキが、なぜ今になって原爆の真実を伝えるドキュメンタリーを撮ろうとしたのか。原爆を体験した生き証人の存命中に、その生の声を記録に残しておきたかったというオカザキの“焦り”が本作品の制作に向かわせた理由だという。映画は被爆者14人の痛々しいインタビューとイメージ画、そして(食事時は絶対に避けた方がよい)カラー動画フィルムによって構成されており、被爆間もない姿をとらえた映像はあまりにも生々しくてまともには見ていられなほどである。

この作品を見た後、やれアメリカ人は反省の色が足りないとか、核保有は絶対にやめるべきなど等のわかりきった議論を蒸し返してもいまさら仕方がないような気がする。米国人の原爆関係者が劇中述べていたように、われわれ人間がパンドラの箱を開けてしまったという認識を強く持つことがむしろ重要なのではないだろうか。原爆投下後60年以上たった今でも消えることのない被爆者たちの肉体と心の傷跡をせめて忘れないことが、世界唯一の被爆国の末裔としての義務だと思うのだ。

「人間はギリギリの状況に追いつめられると、生きる勇気と死ぬ勇気の選択をせまられる。私は生きる勇気を選びました」と語っていた被爆者の言葉が印象的だった。
心にズシリ... ★★★★★
監督は日系のアメリカ人で、数人の被爆者たちのインタビューを時系列に織り交ぜながら編集してあった。
彼らの証言はとてもなまなましく、まさに生き証人であると実感した。
「私以外の全校生徒630人が一瞬にして亡くなってしまった。何のために私だけ生きているのか」と語る女性を始め、それぞれの証言者の言葉ひとつひとつが心にズシリときて、むしろ生き残った人たちの方が不幸だったのではないだろうかとさえ思えてくる。
作品中、彼らの被爆直後の写真が映し出されるが、とてもショッキングで痛々しい。
しかし目を背けてはいけないのだと感じた。

見終わって思ったのは、私は日本人なので、子供の頃から教育現場でこの手の映像や資料を見る機会はかなりあったが、当事者であるアメリカ人や他の核保有国の人々は、ゼロの状態でこの作品を見ているとしたらいったいどのように感じるのだろう。ということであった。
宗教、国籍、思想の違いで捉え方は様々だろうが、ただひとつ確かなことは、同じ過ちをしてはいけない、ということは誰しもが感じるところだろう。