よくわかりませんでした
★★☆☆☆
常々、古い作品は古めかしい訳文でと思っているので、新訳でなく岩波版を選びました。
しかし、薄い本なのに、読むのにすごく時間がかかる。それなのに、内容がよくわからない……。船はどうやって直ったのか? マーロウはいつから会ってもいないクルツにとりつかれたのか? あれほど期待していたクルツの「語り」ほとんど聞いてないんじゃないの?etc. みなさんは読み取っておられるらしいので、私の読解力に問題ありなんでしょうが、それだけでもなさそう。
英語の原本もひどく難しいらしいから、全面的に訳文のせいというわけではないようです。しかし、いくら原本を知らなくても、「ビールはパリだ」みたいなこと(正確に何と書いてあったかは覚えていませんが)を読んだときには、首をかしげました。
単行本の訳は読みやすそうなので、今度挑戦してみます。
密林と言う漆黒の空間を背景に、原初的衝動を濃密な筆致で描いた秀作
★★★★★
「地獄の黙示録」の原案になったとされる作品。物語は船乗りマーロウの回想談として語られる。本新訳シリーズの特徴である乾いた文体が、舞台の熱帯密林の熱気とマーロウ自身の心情にマッチしている印象を受けた。末尾の"解説"も懇切丁寧。
冒頭のモノローグが本作の意匠を匂わせている。地図上の空白地帯が持つ神秘性。列強諸国がその空白地帯を征服によって暗黒の地に変えてしまう事への慨嘆。征服の醜悪さを償う文明化と言う"理念"。そして精神科医はこう言う。「個々人の精神に起きる変化を現地で観察できたら、科学的に興味深いんだが」。
マーロウの任務は、コンゴ河の河口から300kmの奥地での船長の死体の回収。熱帯密林に関する描写は微細を極め、濃密と空虚が入り混じった空気が黒く染まって読み手に伝わって来る。それと共に冷徹に語られる、虐待される原住民の姿。そして途中の出張所で聞く、更なる奥地で"象牙の国"を築いたと言うクルツ氏の噂。クルツが君臨する密林の王国は原初の時代にも似て、静寂不動の世界。その静寂とクルツの虚像の重圧に耐えかねたかの様に、マーロウの思索が次第に哲学的瞑想に陥って行くのが読み手の恐怖感を煽る。名前だけ出して、クルツ本人を中々登場させないのも巧みな演出。クルツは言葉、クルツは雄弁...。そして原住民の加入儀礼を受けたと言うクルツの元に着いたマーロウが見たものは...。粗野な筈のマーロウが時折披瀝する高邁な思想と世界観。熱に浮かされた執拗な背景描写と相まって不思議な幻想感と狂騒感が醸し出され、本作を魅力あるものにしている。原始の森と言う"魔境"が持つ「怖ろしい」力...。テムズ河も「闇の奥」へと...。
自称"文明人"への揶揄を背景に、密林と言う漆黒の空間で起こる、物欲・殺戮・狂信・畏怖と言った原初的衝動を、人間の根源的言動・心理として濃密な筆致で描いた秀作。
現代の神話
★★★★☆
読んでいて、「あれ、『地獄の黙示録』に似ているな」とおもったら、なんのことはない、『地獄の黙示録』は実は『闇の奥』を基に作られていたのだった。
導入部は私たちという視点だが、本編のほとんどは「マーロウ」が語る構成の一人称。マーロウの視点からコンゴの森のなかで狂っていったと思われるクルツが描かれる。象牙収集などのために欧州白人に黒人が過酷な労働を強いられていることなども描かれる。当時としては衝撃的な内容だっただろう。その衝撃を薄めるためか、あるいはコンラッドの文章のスタイルなのか分からないが、描写が直接的ではなく、あいまで象徴的なときが多い。それでこの小説は難しいという印象を与えるのかもしれない。
神話から多くの戯曲や小説が生まれたように、新しい作品を生み出す力を持つ作品というのがある。例えば、ホメロスの『オデュッセイア』からジョイスの『ユリシーズ』が生まれたように。あるいはハメットの『血の収穫』から黒澤の『用心棒』がうまれたように。
『闇の奥』からもゴールディングの『蠅の王』、村上春樹の『羊をめぐる冒険』『1Q84』、伊藤計劃の『虐殺器官』が生まれていることを考えると、『闇の奥』は現代の新しい神話といえる。
翻訳は丁寧で大変読みやすい。
「地獄の黙示録」から本書を手にとりました
★★★★☆
コンラッド「闇の奥」です。コッポラの「地獄の黙示録」の翻案となった書です。ウィラードがカーツ大佐を探しに行くところですね。原題「Heat Of Darkness」。
本作は船乗りであるマーロウがアフリカ奥地で原住民を支配下に置いて、象牙の取引で権力を握るクルツを助けに行く?物語である。そこには冒険ということではなく、その時代よく知られていなかった、アフリカの原住民との出会いや衝突、白人文化から見ると奇妙な風習が描かれていて、よく知らない世界を垣間見るような好奇心に溢れた読者が手に取ったと思われる。でも、そんな好奇心を満たすような場面ばかりでなく、本書は非常に難解なのである。新訳になって読みやすくはなったのだろうけど、読みにくい。難解である。でも中篇なので、気合一発で読み進めるしかないでしょう。読み進めるうちに、クルツの精神そしてクルツとであったマーロウの精神の変化に触れることができるのですから。そしてラストのクルツの婚約者に会いに行く場面。マーロウはアフリカの闇に触れていながら、最後は人間らしい優しさといっていいのか、狂気を静め対応するのである。
本書は映画「地獄の黙示録」を見て、何なんだろうあのラスト、と思った人が読むべき書なのだと思います。それ以外興味がもてないと思います。
因みに、本書でクルツ、地獄の黙示録ではカーツ大佐を演じた、マーロン・ブラントはコッポラ監督から本書を読んでくることとやせてくることを言い渡されたのですが、本書も読まず、ぶくぶくと太って来たということは有名な話です。
不可解・矛盾・差別・残酷・自己満足・飽くなき欲望--魔境にも街にも偏在する人間そのものが持つ不気味さ
★★★☆☆
子供の頃,「地獄の黙示録」を見てから,原作のこの本を読もうと思っていた。映画の描こうとした世界の謎を理解できるかと期待していたが謎は深まるばかり。著者は,この説明しがたき,人間の実存を感覚的に表現しようとしたのか?
船乗りが,哲学的に語る彼の冒険譚。アフリカ人を同じ人間とも認めない欧州人の徹底的な優越感・差別感覚。それと同時に持つコミュニケーション不可能性を前提としたアフリカ人への恐怖感。「象牙」というお宝へのどん欲のみで魔境と関わる会社員たち。その魔境で神となって原住民を支配するクルツ。そして,クルツも「象牙」の奴隷であることにおいて,他の”まとまな ”会社員と何もかわりない。
さらに,欧州文明の中心地ロンドンの邸宅に住む貞淑な婦人が,クルツに魅入られ神として崇め妄想に浸る姿は,アフリカの原住民のそれより,はるかにグロテスクであった。。。
最期に,これらの人々とはまるで異なる,現実的な欲望とは無縁の,狂言回しのような青年。
全ては混沌である。多くの「魅入られた」方々が翻訳されています。