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欲望のメディア (日本の近代 猪瀬直樹著作集)

価格: ¥1,470
カテゴリ: 単行本
ブランド: 小学館
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猪瀬直樹がメディアと国家との距離を引き剥がし、映像メディアの正体を突き止める! ★★★★☆
「世界史のなかで天皇制を考察する『記号としてのミカド』三部作」の最終完結作である。
大衆の欲望に敏感であり、業容の拡大を進めるという堤康次郎(「ミカドの肖像 (小学館文庫)」)や五島慶太(「土地の神話 (日本の近代 猪瀬直樹著作集)」)の役割を、本書では読売新聞社主の正力松太郎が担っている。
政治家としての猪瀬氏には賛否両論あるだろうが、作家としての猪瀬氏の実力に異議を唱える人は殆どいない。膨大な取材力とそれをストーリー化する構成力は、本書でもさすがである。「その手つきは実に鮮やかで、マスコミ研究者のメディア史では絶対に登場してこない興味深い事実を発掘している。」(植田康夫氏の解題)

本書出版時、「テレビと日本人の蜜月は重大な曲がり角にさしかかっている」(終章)と猪瀬は見ていた。
20年後の現在、許認可行政という”計画経済”は未だ残るが、BS放送による多チャンネル化は実現した。が、各局のコンテンツは地上波の補完財レベルだ。インターネットの普及によるテレビ離れを挙げるならば、動画投稿サイトを見られたし。地上波のバラエティ番組やアニメ番組が人気コンテンツであり、テレビ局の申立による削除と有志によるアップロードのいたちごっこが展開されている。来年、地上波テレビはデジタルに移行するが、「視聴者との双方向」サービスはなくても別に困らない。技術にコンテンツが追いついていないのだ。猪瀬はテレビ番組の幼児化・画一化を危惧しているが、ネット時代でも依然、テレビは最も面白いコンテンツの一形態なのであり、これが日本のテレビの特質なのである。
大衆の多くは自ら情報を”取りに行く”ほどの意識はないが、それは大衆の愚鈍さを意味しない。コストベネフィットから、無意識にも能動的に受け身を選択しているのである。当分、この〈国のかたち〉が続くだろう。評者が書くのもおこがましい程の力作だが、再評価が必要だと感じる。
高校時代の思い出の本 ★★★★☆
高校時代、マスメディア方面に進もうと漠然と考えていて、
たまたまこれが連載されていた週刊ポストを手に取りまし
た。読ませるドキュメンタリーで、単行本になったときも
読んだほどです。

今回また手に入りやすくなったので読んでみようと思いま
す。
硬軟取り混ぜた取材の数々はさすが!

近すぎて見えない「メディア」、近すぎて見えない「日本」 ★★★★★
 毎日目にするテレビというメディア。私たちの大部分は、生まれたときから当たり前のように存在するこのメディアに何の疑問も持たずに接しています。親の言うことは疑ってかかるが、テレビの言うことなら鵜呑みにするという子供も少なくありません。
 これほど私たちの生活に深く浸透したテレビについて、自分はあまりにも無知ではないか。

 この本を手に取ったのはそんな動機からでした。

 過剰に国民の画一化を進め、一種の特殊法人のような性質さえ持つ日本のメディアの起源を求めた猪瀬氏は、1930年代にまで飛びます。

 戦時下における映像メディアの威力を早くから認め、いち早くそれをとりこもうとしたヒトラー。

 家にいながらにして遠くのものを見通す「遠視鏡」の夢を叶えようと!した高柳健次郎博士。
 戦後、アメリカのムント構想を受けて日本にテレビ放送網を作ろうとした正力松太郎。
 プロレスのテレビ中継を通して大衆の中でテレビの認知度を高め、その普及に一役買った力道山。

 放送免許を大量に下ろし、各局の新聞社の持ち株を整理させることでテレビのネットワーク化を促した田中角栄。

 現在に近づくにつれ、いかにして現在のテレビが形成されていったのかが明らかになり、同時に冒頭に挙げた疑問の解答も見えてきます。

 「ミカドの肖像」、「土地の神話」に続く「ミカド三部作」の最後を飾る本として書かれたこの本の中では、天皇とテレビ放送との関係が解きほぐされ、猪瀬氏の他の著作と同様、緻密な構成、抜群の面白さ、溢れるサービス精神を随所に見せながらも、真に教育的な本になっています。

 メディアの現実、そして私たちの生活の現実を知るための必読書と言えるでしょう。

熱狂が、伝えられる ★★★★★
「テレãƒ"はãƒ-ロレスにより、ãƒ-ロレスはテレãƒ"によって、認知された」とã"の本に書かれている。それは、ç'¹ä»‹ã•ã‚Œã¦ã„るようにまだテレãƒ"の台数が国å†...にå°'なく、è¡-頭で人が群がってテレãƒ"ã‚'見ていたå½"時から現在までも通じるものだろう。å...ˆã ã£ã¦ã®ã‚µãƒƒã‚«ãƒ¼ãƒ»ãƒ¯ãƒ¼ãƒ«ãƒ‰ã‚«ãƒƒãƒ-でハイãƒ"ジョンやそのä»-のæ-°ã-いテレãƒ"の機器が、ã"の不況のæ-¥æœ¬ã§ï¼ˆãã-てéŸ"国でも)飛ぶように売れたのだから。

 どうã-て僕たちはã"ã‚"なにテレãƒ"ã‚'見るのだろう。そã-て、そã‚"なテレãƒ"はどうやってç"Ÿã¾ã‚ŒãŸã®ã ã‚ã†ã€‚ã"の分厚い本は、たくさã‚"のã"とã‚'教えてくれる。分厚すぎてé€"中で挫折ã-そうになるã‚"だã'れど、また引き戻される話がたくさã‚"å...¥ã£ã¦ã„る。最初に書いたãƒ-ロレスの話(作è€...の猪瀬さã‚"は、ãƒ-ロレスファンなã‚"だろã!†!!)、CMソングの話、æ°'æ"¾ã®è©±ã€ãã-て宮å'Žå‹¤ã€‚知らない話でも、どã"かで聞いた事のある「テレãƒ"の話」が詰まっている。毎æ-¥è¦‹ã¦ã„るテレãƒ"に、ã"ã‚"なにæ­'史やら挿話があるとは、知っているようでもやっぱり知らなかった。

 もともとは1990å¹'、つまり「10å¹'一æ˜"」前にかかれた本なので、そのあとのã"とについてはどうなっているのかと思ったら、ちゃã‚"と載っていた。CATV、衛星デジタルæ"¾é€ã€ãã‚Œã‹ã‚‰ã‚¤ãƒ³ã‚¿ãƒ¼ãƒãƒƒãƒˆã¾ã§ç¶šã„ている。ã'れどもやっぱり「テレãƒ"の話」とつながっているな、と思った。それから、ã-つã"いようだã'れどãƒ-ロレスファンが読むと、ã"れまたおもã-ろいと思う。