多くの識者の方々が評価
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本書について、多くの識者が評価をしておられ、その主なものを紹介します。
まず、19世紀のビュルヌフによるサンスクリット法華経からのフランス語訳に続き、鳩摩羅什訳の法華経をフランス語に翻訳されたフランスアカデミー会員のジャン=ノエル・ロベール博士が、次のように評しておられます
「サンスクリットの精密な校訂文と、400頁にも及ぶ詳細な文献学的、言語学的な注釈と、思想的な解説は、専門家が今まで抱いていた数多くの問題点や疑問点を解明してくれる」「植木氏の大作と、学生時代から座右の書としていた岩波文庫『法華経』を比較すると、この50年、研究がいかに進んだかが一目瞭然だ」(「中外日報」08年5月27日付)。
ニューヨーク州立大学名誉教授のケネス・K・イナダ博士は、「明晰な訳はまれにみる成果」(朝日新聞、08年5月17日付)と声を寄せました。毎日新聞の書評欄では、「翻訳に際して文法的な正確さを期し、岩本訳の文庫版の間違いが全面的に直された。曖昧なところも明瞭に訳されている。詳細な注の中でこれまでの翻訳のどこがどう間違っているのか、原文を引きながら詳細に説明されている。学問研究の謹厳さと誠実さには頭が下がる」「月並みの研究論文を凌ぐ訳業」(08年7月13日付)と評されました。
辛口の書評で知られる谷沢永一氏は、「このように厳密であり、性・数・格の一致によって、修飾・被修飾の関係が明確なサンスクリット語の原典に即し、根本から訳し直した成果が『梵漢和対照 現代語訳法華経』上下(岩波書店)」「これまでの原語訳では、掛詞まで訳された例はなく……」(「Voice」08年6月号)と。
無類の読書家で知られる哲学者の木田元氏は、「驚いたことに、四十歳にもなってからそのサンスクリットを学びはじめ、十年がかりで習得し、さらに八年をかけて『法華経』の原典を現代語訳した人がいる」「今春『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(上・下、岩波書店)を刊行した植木雅俊さんが、その人だが、その努力はいくら顕彰してもしきれない気がする」(日本経済新聞(08年10月6日付夕刊)と紹介されました。
年末恒例の「2008年の3冊」では、張競明大教授が「法華経のような重要な仏教経典でも長らく正確な翻訳がなかったことを知って驚愕したが、ようやく信頼できる現代語訳があらわれたのはありがたい」(毎日新聞、08年12月14日付)、橋爪大三郎東工大教授が「法華経を現代によみがえらせる試みである。丹念にサンスクリット語と漢訳を対照しながら、従来訳の問題点の多くを解消している。あいまいにくすんだテキストの重層から、法華経本来の輝きが取り出された」(「週刊読書人」08年12月19日付)、また、前田耕作和光大名誉教授は「植木訳による現代語訳の特徴は、正確を期した徹底的な読みの深さにあり、精緻な訳者註が法華経の思想的・文化的地平をぐっと広げていて楽しい」(同)と。
“知の巨人”松岡正剛氏は「千夜千冊」の第千三百夜を記念して、本書を取り上げられた。松岡氏は、常不軽菩薩について、鳩摩羅什訳では「常に軽んじない菩薩」(不軽)、サンスクリット原典では一見、「常に軽蔑されている菩薩」とも読めるようになっていると述べ、「植木さんはそこを、こう訳した。『常に軽んじないと主張して、常に軽んじていると思われ、その結果、常に軽んじられることになるが、最終的には常に軽んじられないものとなる菩薩』というふうに。うーん、なるほど、なるほど、これならよくわかる。ネーミングの意図を汲み上げた訳になっている。そうであるのなら、この菩薩は鍵と鍵穴の関係をさらに出て、菩薩と世界の、菩薩と人々との“抜き型”そのものになったのだ。フォン・ユクスキュルふうにいえば、その“抜き型”のトーンそのものになったのだ」「もしもドストエフスキーやトーマス・マンが常不軽菩薩のことを知っていれば、すぐに大作の中核として書きこんだはずである。そのくらい、断然に光る(なぜ日本文学はこの問題をかかえないのだろうか)」と。
この上ない便利でグーな索引に感謝 : 雪だるま
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本書の勝れている点の一つとして、21頁にわたる詳細な索引がつけられていることを挙げなければなりません。岩波文庫版にしても、中央公論社版にしても、これまでのサンスクリット法華経の現代語訳には索引がついていませんでした。それを考えると研究者にとっても、一般読者にとっても、大変に便利で有り難いものとなっています。
その索引の項目を眺めていると、「ブラックホール」という語があって、「何で?」とわが目を疑いたくなりますが、第7章のその箇所を開いて納得。世界と世界の間にある暗黒の闇について、「これらの月と太陽でさえも、光明によってでさえも光明を生み出すことができないでいるし、色彩によってでさえも色彩を、輝きによってでさえも輝きを生み出すことができないでいるのだ」と描写され、まさにブラックホールの概念であることにびっくりします。こんな発想ができるのも、学生時代、物理学専攻であった植木氏ならではのことではないでしょうか。
植木氏は、過去の研究者たちの研鑽の成果を検証しつつ論を展開されていますが、その研究者たちの名前も索引に列挙されています。例えば、苅谷定彦氏の場合、索引を見ると、言及した頁数が二箇所挙げてあります。
梶山雄一氏の名前でも、索引に「上, 142」とあり、上巻の142頁を開くと、「五千人の比丘の退出」についての注釈に行き着きます。その注釈で、植木氏は、梶山雄一氏の名前を挙げて、「比丘の退出」といったことは、『法華経』以外にも『八千頌般若経』や『宝積経』迦葉品にも見られると言及し、大乗興起の初期に説法者である菩薩たちがその法を説いている時、従来の声聞、独覚の教えになじんだ人々が集会を蹴って立ち去る光景がしばしば起こったに違いないという見解を紹介しておられます。これは、大乗興起という「仏教の歴史、仏教が時代におかれていた環境」をきちんと読み取ったものです。釈尊在世中の「提婆達多の破僧(教団分裂)」にまで遡るものだと主張される人もいるようですが、それは、時代錯誤というものでしょう。
このほか、以下のことでも植木訳を通して納得することができました。
まず、鳩摩羅什が「仏知見」と訳したタターガタ・ジュニャーナ・ダルシャナを、岩波文庫で「如来の知の発揮」と訳していることについての植木氏の批判です。
英語のshowとexhibitから「発揮する」を正当化しようとしても、show(見せる)もexhibit(示す)も「何々を」「誰々に」の二つの目的語を取り、見せる相手が必要ですが、「発揮する」は「何々を」の一つの目的語しか取らず、見せる相手は必要ありません。従って、ダルシャナ(見ること、直感)を「発揮」と訳すのは無理があります。
また、子どもを亡くして「生き返らせてくれ」と訴える半狂乱のキサー・ゴータミーという女性をブッダが目覚めさせた話が初期仏典に出てまいります。そのエピソードを「知の発揮」の具体例として考える人もおられるようですが、それだったら「如来の知の発揮」は初期仏教で既に説かれていたことになり、何も法華経において「一大事因縁」としてものものしく説かれる必要などなくなってしまいます。ここは、一切衆生を成仏させることが仏の出現の最大目的であることを明かすところであり、植木訳のほうがはるかに納得できます。
また、法華経には「仏性」という言葉は用いられていません。けれども、如来蔵思想の研究で知られる高崎直道博士も「法華経の思想を突き進めれば、仏性の思想に至る」という趣旨のことを語っておられるように、その萌芽は内包されています。植木氏は、そこを汲んで注釈の中で「衆生にそなわる如来の知見」という言葉を使われたのでしょう。
「如来の知の発揮」と訳したのでは、「如来の知」が如来の側の問題に局限され、「如来の知見」の衆生における「開・示・悟・入」という、衆生の側のことがおろそかになります。それは、植木氏の指摘される通りです。
このほか、これまで、法華経は西北インドで成立したと主張されてまいりましたが、筆者にはその根拠がよく理解できませんでした。ところが、植木氏は、五つの状況証拠を挙げておられ、やっと納得することができました。その一つに、「ヤク」という牛に言及しておられます。ところが、「ヤクの尾」で作った虫を追い払うための払子(ほっす)がインドでも使用されていたので、西北インド成立の根拠にはならないと主張する人もいるようです。しかし、植木氏は「ヤクの尾」ではなく、「ヤクの尾に執着するヤクという生きた牛」を証拠としていることを読み落としてはなりません。「ヤクの尾」(正確には、「ヤクの尾の毛」)はインド各地に輸入されたでしょうが、生きたヤクを見たインド人はほとんどいなかったはずです。
超辛口の書評家・谷沢永一氏も賛嘆
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関西大学名誉教授の谷沢永一氏は、超辛口の書評家として有名である。その谷沢氏が、この『梵漢和対照・現代語訳 法華経』について賛嘆の言葉を次のように記している。
「我が国における平安朝文藝の理解に必須である法華経の本文は、すべて鳩摩羅什による漢訳に基づく妙法蓮華経なのであるから、本書が構成の原則として用意した如く、漢訳本文もまた絶対に必要とする。漢訳を対照として掲げた用意周到に感謝せねばならない」(「Voice」2008年6月号)
谷沢永一氏が感謝するのも当然で、梵・漢・和の三つの言語を対照させた植木氏の訳業は、わが国でも初の偉業であり、不滅の業績といえよう。左側のページの上下で、サンスクリットとその漢訳、右側のページでサンスクリットからの現代語訳というように、三つの対応箇所が一度に俯瞰できる便利さは、なるほど「感謝せねばならない」。
とかく、この種の本は、無味乾燥なものになりやすいが、全体のページ数の三分の一にも及ぶ注釈は、梵・漢・和のニュアンスの違いをクローズアップするとともに、誤訳というものがどのようにして生まれるのかを緻密な分析で明らかにしてくれていて、比較文化論的な視点の面白さも満喫できて楽しい。何と言っても平易でこなれた訳文の読みやすさにも「感謝せねばならない」であろう。
毎日出版文化賞の選考理由(毎日新聞、2008年11月3日付)にも、「植木氏は独学で仏教学を学び、30代後半に東方学院の門を叩いて、中村元院長の教えを受ける。中村院長の励ましのもと、サンスクリット語の学習を始め、以来寸暇を惜しんで研鑽すること十数年、独力で法華経の現代語訳を完成させた。一個人の仕事としてまれに見る偉業である」(橋爪大三郎氏)とある。
谷沢永一氏には、『嫉妬の正体』や『嫉妬する人、される人』といった著作がある。多くの歴史的な事件を「嫉妬」を通して解釈するので、やや強引すぎるのではないかと思えるところもある。しかし、人間の普遍性を鋭く突いており、納得できるところが多い。
この『法華経』の訳業は、“偉業”であるが故に、嫉妬する人が必ず現われよう。それは、谷沢氏が、「嫉妬の対象となる相手に、ただ嫉妬している間は、まだ軽く見ているといえます。ところが、もっと相手が大きな存在になると、今度は「恐れ」になります」(『嫉妬する人、される人』17頁)と言っているように、きっと何かを「恐れ」ているのであろう。
我々は大変な恩恵を受けることになった
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植木訳『法華経』を朝勤の後の日課として読み続け、3回目の読了が間近になった。1回目は、現代語訳のみを通読し、こなれた訳文であったため滞ることなく読み終えることができた。これまでの岩波文庫の訳などで、首を傾げながら読んだ箇所が、何の抵抗もなく読めるのが嬉しかった。2回目は、対照して掲げられている鳩摩羅什訳と比較しながら読んだ。簡略を好む漢訳では読み取れなかった微妙なニュアンスが、植木訳から読み取れて有り難かった。それとともに、鳩摩羅什の訳の見事さも改めて再確認できた。3回目は、現代語訳と膨大な注釈を往復しつつ、昔習った梵語の文法書を引っ張り出して梵文もながめながら読んでいる。一つの注釈が2頁にも及ぶものまであり、その充実ぶりは圧倒的に他を凌駕している。
わが尊敬する小野文b上人が、毎月定例の「法華経講讃」において、「この本が出版されたことによりその前後では、法華経に対する解釈が変わってしまうところがあるのではないか。そして我々は大変な恩恵を受けることになった」「植木氏は梵・漢・和語に及ぶ緻密な研究により、法華経に新たなメスをいれ羅什訳を再評価した」「『梵漢和対照現代語訳法華経』は今までの研究の成果を網羅しているので、現在の法華経学では最高水準のものといえる」(ブログ「小野文b上人の法華経講讃」より)──などと、評価しておられるのも、3回通読してみて、いずれも納得できることである。本書は、極めて優れた一般啓蒙書であるだけでなく、懇切丁寧な学術書である。
本書のサンスクリットの底本は、H・ケルンと南条文雄によって校訂されたいわゆるケルン・南条本であるが、その出版開始から数えて、本書が刊行された2008年は、ちょうど100年目に当たる。その間に、複数の梵文法華経の写本(断片も含む)が発見されている。
その中でもケルン・南条本から訳した理由について、植木氏は、次のように「解説」に記している。「諸写本間の異同は複雑を極め、体系的に分類することは不可能に近い」「“完全なる校訂”を待ちたいところだが、時間的余裕もなく」「現時点で、一般の方が目にし得る、ケルン・南条本と荻原・土田本だけでもより正確を期した翻訳が必要と考えて」本書を訳したと。自らの訳が絶対であるなどとは一言も言っていない。自らにできること、できないこと──このような自らの立場を明らかにする態度は、学術研究者として極めて真摯な態度といえよう。
32音節からなる一つの偈(植木訳では2行分)について31種類の写本でその異同を比較した一覧表を見たことがあったが、1頁に入りきれないほどであった。その異同も、シャーリプトラがシャーリスタになっているといった違い(いずれも、意味は「シャーリーの息子=舎利弗」で同じ)や、単語の語尾の多少の違いなどで、一仏乗、二乗作仏、女人成仏といった法華経のテーマに違いを生ずるものではない。もしも、文献学的綿密さで上記のような違いを一字一句、各写本との比較を注釈に述べたなら、どうなるであろうか。現在でも上下巻合わせた1250頁のうち約三分の一の400頁近くを注釈が占めているのに、本文の10倍近く、あるいはもっと膨大な注釈になり、著しく不恰好になってしまう。そんなものは、出版社に嫌われ、どこからも出版されない。それは文献学者には重大かもしれないが、読者はうんざりだ。植木氏の選択は、極めて現実的であり、誠実な態度だと筆者は理解している
ケルン・南条本が長年、「カシュガル本の読みを無批判に本文に組み込んでいる」「ずさん」だと酷評されてきたことは、筆者も聞いていた。植木氏は、この点について2008年10月25日付の「中外日報」に「酷評されてきたケルン・南条本 その名誉回復を願って」という小論を発表された。ちょうど筆者が2回目の読了に入った頃で、切り取って『法華経』に挟んで何度も読んだ。説得力のある論旨が強く印象に残っている。
それによると、2007年にケルン・南条本の底本である『英国・アイルランド王立アジア協会所蔵梵文法華経写本』がローマ字版で出版された。植木氏は、それと、ケルン・南条本を一語一語、逐一突き合わせた。その結果、ケルン・南条本では、なすべき校訂がなされていることを確認した。また、ケルン・南条本の「カシュガル本からの無批判な組み込み」とされてきた箇所は、カシュガル本とは似ても似つかず、むしろ底本の『英国・アイルランド王立アジア協会本』のほうと酷似していることを明らかにした。すなわち、「カシュガル本からの無批判な組み込み」はなかったというのだ。しかも、「無批判に組み込んでいる」という批判は、「戸田宏文覚書」に「南条はこの長行部分を飛ばして最初の手書き原稿を作成したと推定される。この原稿を底本とした日本語訳には、この長行部分が欠けている。これらの事実は、ケルンが長行部分を補ったとする推定を裏付けている」(「東洋哲学研究」2001年所収)とあるように、「推定」に基づいて批判されていたことを知ることができた。
わが国では、だれかが「これは駄目だ」と言えば、自分で確認もせず、鵜のみにしてしまう傾向があるようだ。これもその典型であろう。植木氏は、風聞に寄らず、自らの目で確認するという態度を貫いている。その態度は、『法華経』の現代語訳においても一貫して貫かれており、そこが、本書の際だったところである。植木氏は、ケルン・南条本も鵜のみにすることなく、文章の前後関係から文法的に意味の通じない箇所や、明らかに勘違いと思われるところに校訂を加えているが、そこにも、注釈で理由を明記するという学術的な態度が貫かれているのだ。
『法華経』は初期大乗運動ネットワークの精華
★★★☆☆
『法華経』の魅力はなんといっても、その総合性にあります。よく、『法華経』は空観を説く般若系の経典とも、極楽徃生を説く浄土系の経典とも無縁の、孤立した経典と言われますが、実際は、阿含経や他の大乗経典との密接な関係にあり、それを文学的な表現で巧みに表現しています。植木訳は、この仏教文化のネットワークに殆ど注目していません。
まず、阿含経との密接な関係を示す例を幾つか示します。
1 パーリ文の「梵天勧請」エピソードにおける「三止三請」等の「形式」がほとんどそのまま、「方便品」で用いられていることは、改めて指摘するまでのことはないでしょう(下田正弘「「梵天勧請」説話と『法華経』ブッダ観」)。
2 仏陀の光が「世界と世界の間にある暗黒の闇」を照らすエピソードは、阿含の『大本経』や律の『破僧事』に出てきます。そこでは、ブッダの入胎・誕生のとき、大地震が起こり、太陽や月によっても照らされない闇黒の世界が光明によって照らし出されます。そしてその暗闇の世界に住んでいる人々が、その光によって互いに他の人がいることを知る「他者の自覚」が伝えられられます。この「他者の自覚」は大乗経典の「おはこ」のように言われていますが、阿含経の中で、仏陀の誕生を告げる場面で最初に言及されていることは意味深いと思われます。なお、この闇黒の世界は仏教の宇宙観の中では「中間世界」とよばれています。宗教学者のクレツリの説明によれば、各「仏国土」は球体と考えられており、例えば3つの球体を接触させると間隙が生じますが、この間隙世界のことを指しています。ここは、普段、いかなる光も差し込むことはない、とされています。
大乗経典との関係はそれこそ数え切れないほどありますが、そのうちの幾つかを挙げておきます。
1 「方便品」にでてくる「五千比丘の会座からの退出」のエピソードですが、『迦葉品』『思益梵天所問経』『文殊師利巡行経』『善住意天子所問経』『宝筺経』などに出てくる、「五百比丘の退出」のエピソード群と密接な関係があります。これは、もともとは、提婆達多が「五法」を主張して五百人(人数についてはヴァリエーションがあります)の比丘を連れて行ってしまったとするいわゆる「破僧」のエピソードに端を発すると思われますが、いずれの場合も、シャーリプトラやマウドガリヤーヤナ、あるいはスブーティ、さらには文珠菩薩、思益梵天などが、時に神通力により、時に説法によって、なんとか引き戻そうとする努力がなされます。ところが、『法華経』では釈尊は、まったく放置なされる、というよりむしろ罵倒する形になっています。もちろん、かれらも一仏乗の教えにより「仏陀の実子」として仏乗の中に包摂されるのでしょうが、この「五千比丘の退出」は「五百比丘の退出」のエピソード群を踏まえたもののように思われます。
2 三乗については、『阿毘達磨大毘婆沙論』に「十二因縁の河」を渡る能力によって、声聞=兎、独覚=馬、如来=象という比喩が示されています。これは、パーリ仏典(『アングッタラニカーヤ(増支部経典)』)において、「三昧の池」を泳ぎ渡る能力を、兎・猫・象に分けて説明しているものを踏まえた表現と思われます。『法華経』では、「正法華経」が声聞=羊車、独覚=馬車、菩薩=象車、「妙法華」が声聞=羊車、独覚=鹿車、菩薩=牛車、梵文が声聞=鹿車、独覚=羊車、菩薩=牛車、としています。『法華経』の三乗の比喩も、上記の諸文献の比喩と全く無縁というわけではないでしょう。
3 『法華経』は、「譬喩品」において、自らを「第二転法輪」と位置づけていますが、『八千頌般若経』(『小品般若経』)あるいは『二万五千頌般若経』(『大品般若経』)にほぼ同じ表現がみられ、『法華経』はその所説を踏まえたものと思われます。
4 『法華経』の特徴の1つに、「意図にもとづくことば」と「方便」とが結びついていることがあります。『三昧王経』や『思益梵天所問経』でも、如来の「意図にもとづくことば」は説法(対機説法、あるいは了義・未了義)との関連から言及されますが、これが『法華経』においては、「如来の知見」たる「方便」と関連づけられるのです。
5 「従地涌出品」では、4人の菩薩が下方世界から出現するという「地湧の菩薩」の比喩がありますが、これも発想としては、阿含経以来のものだと思われます。たとえば、『増一阿含』『破僧事』『仏本行集経』では「地神」(「地天」、「大地之神」)が地から涌出してきます。大乗の『福蓋正行所集経』では如来が出現します。そして、『思益梵天所問経』では、『法華経』と同じく、4人の菩薩が下方世界から出現してきます。
6 「(自分の)尾に愛着するヤク」の比喩は、『大智度論』では「讃摩訶衍偈」に出てきます。この「偈」は三乗説に立脚しており、声聞乗・独覚乗・大乗を「驢馬・(駱)駝・象」の三乗に例えています。なお同じ『大智度論』には、この他に、「羊・馬・神通」「馬・象・龍」の三乗の比喩が見られます。
7 このほか「薬草喩品」の「雨の比喩」は『善勇猛般若経』などに見られます。同じ「薬草喩品」の梵文しかない箇所に見られる、「五姓各別説」を反映していると思われる「壺(器)」の比喩は、『宝篋経』などに見られます。
こうして見てみると、『法華経』はそれほど古くない可能性も出てきます。上に挙げた大乗経典は殆ど「三乗説」に立脚しています。思想史的に見れば、これら「三乗説」に対抗して、その「三乗」を意図にもとづく方便という如来の知見・慈悲の発揮として、三乗説を一乗説へと統合・包摂していく、融和的な思想運動の1つであったと考えられます。
『法華経』はいうまでもなく、仏性思想の先駆形と言っていいでしょう。これを否定する人はいないはずです。しかし、あくまで先駆形であって、ここに「仏性思想」そのものを読み取ることはアナクロニズムというものでしょう。『法華経』は「授記」を説く経典としても知られています。というより、授記を最もよく説く経典こそ『法華経』です。「授記思想」というものを認めるとすれば、原始仏典から大乗経典に至るまでの長いスパンで見ても、『法華経』はその頂点に立っているというべきです。もし、『法華経』の編纂者が、「仏性思想」を意識しているなら、「授記」をこれほど頻用することはなかったでしょう。なぜなら、すべての人に仏性があることが前提になれば、成仏の授記などまったく意味がないからです。現に、仏性思想が現れる頃から、授記は殆ど意味を失い、大乗経典から消えていきました。すべての人は「仏陀の実子」であるとするのは、『法華経』の重要なメッセージであり、『涅槃経』や『勝鬘経』はこれを引き継いだのでしょう。
『法華経』は、初期大乗経典(とくに般若系・文珠系)の強調する三乗を一乗に統合し、すべての人を「仏陀の実子」と見る思想運動の精華にほかなりません。その際の有力な思想的ツールが「方便」と「授記」です。この「すべては仏陀の実子」というメッセージが後の「仏性思想」に繋がっていくのです。しかし、後の「仏性説」を説く諸経典が『法華経』のメッセージを充分に継承・発展させているかというのは別問題です。むしろ、そうでないからこそ、『法華経』は、特に東アジアにおいて、圧倒的な支持を得てきたのです。