泣けるのに湿っぽくならない
★★★★★
フィクションなのかノンフィクションなのか、散文なのか私小説なのか、私にはどうでもよかった。親友の死を描いたにもかかわらず、決して湿っぽくならず、死ぬまで「オモロク」にこだわる様が、面白くもあり、痛々しくもあり、嘉門達夫らしくもあり、ドラマ感覚で読める作品でした。この本を読めば、受け入れがたい親友の死も、受け入れることができそうな気がするから不思議です。
それから70年生まれの私には、熱気あふれる万博の風景は新鮮そのものでした。私もあんな熱気の中に身を置いてみたかったです。
自分の友人に置き換えて読んでみたら・・・
★★★★☆
嘉門さんからイメージする”爆笑”とはほど遠く、いい話でした。どこまでがフィクションでどこまでが実話かどうかは別にして、自分にある身近な出来事として考えたらとてつもなく涙が出てきました。
とてもいい友人たちに恵まれた本人と嘉門さんは幸せだと思いました。
飾るぞ! 高倉コレクション
★★★★☆
嘉門達夫記念館ができるのが待ちきれず、
ブックカバーの高倉コレクションを手元に置きたくて、本書を買いました。
嘉門達夫の切れのよさは、詩に現れる。
明るい未来を信じてた 豊かな時代を目指してた 希望があふれてた
すべてがキラキラ光ってた 平和が続くと思ってた あの日に帰りたい
『明るい未来』より
小説なのか詩なのか、フィクションなのかノンフィクションなのか
そんなことに拘わらず、同じ時代を呼吸してきたものとして、
同じ世代の者として、高倉さんを記憶に留めておこうと思います。
散文には論理性が必要だとすると、
これは散文として読んではいけない。“私”小説とも呼べない。
あるときの状況と情感が編まれた、“詩”なのだと思います。
ドタバタと生き急ぐた〜くら〜氏と嘉門達夫と取り巻きと。。
★★★★☆
誰もが心当たりのある「た〜くら〜」こと、この本に出てくる嘉門達夫の幼馴染の
高倉義和さん。
氏は小さい頃に周りに一人は居たと思われる、隠れキャラ的存在で、なんとも憎めない
性格ながら抜け目無く美味しいところだけをさらって行く人のようです。
この物語は「た〜くら〜」さんからの嘉門達夫への一本の電話からはじまります。
それも、末期がんで余命3ヶ月という告白。。
重い話題を面白おかしく一気に駆け抜ける、「た〜くら〜」さんと嘉門達夫とその
取り巻き達。そのフィナーレたる葬式を『たかくらの祭り』に仕立てるために奔走し、
実際に成し遂げる。
ハチャメチャな内容ながら、「た〜くら〜」さんと取り巻きと熱い思いを羨ましく
眺めて感動しました。
内容充実であっという間に読めてしまうのですが、さすがに一読すると二度目は
恥ずかしくて読む気がなくなりました。
買って読むほどの濃度は無いかもしれません。しかしながら、忙しい中でお祭り感覚の
ノリを普段、余り感じることができない方は、何やらノスタルジックで生きる
楽しさに浸れる本書を一読されてみるのもよいかもよいかもしれません。
ほんわかとする話です
★★★★☆
総じておもしろいと思いました。万博のころの大阪の記述が、非常に細かなところまで描かれており、その頃の街の雰囲気がイメージ出来ます。非常に懐かしい想いにさせられます。
また著者の友人であるたかくらさんへの愛情が伝わってくる本です。
ただ、嘉門達夫ということで笑わしてくれるだろうと期待して買ったのですが、イマイチパンチが無いのが残念でした。