政治家の死生観・人間観
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二人の対米・安保観はもちろん、死生観・人生観まで知ることができて興味深い。政治家が直面する政治課題を処理するのは当然であるが、国家の将来まで責任を持つという気概があるのならば、自らの死生観・人間観をさらけ出し、共感を求めるべきであろう。そういう意味で、「社会、国家、世界まで含めて私の存在は無限の縁の連鎖の一部にすぎない」(60頁)との中曽根氏の発言は印象的。また、彼が原子力空母の入港を事前協議の対象と考えていたのは驚きだ。
彼こそ「世界標準」!!
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世間は彼を「タカハ」だとか「右翼」だとか「過激だ」とかよく言ってるが、世界的に見れば彼はフツーだ。あの程度をタカハだとか右翼だとか過激だとか言ってたら、本物のタカハや右翼や過激な人達は一体どーなるのか。石原氏の言う事はいちいち御尤も。返す言葉も無い。彼が苛立つのもよく分かる。戦後日本は、いや、正確には戦前から何時からだろう、日本は全体的に女々しくなった。男と女の差が見えなくなったのだ。所謂「悪平等」だ。男も女も、親も子も、先生も生徒も境が見えなくなった。結果、男が男らしくなくても誰もあんまり気にしなくなった。結果、今の日本がある。父親が家族を守ることをしない。こういう大人ばかりだから、国家も誰が守るべきなのか分からなくなっている。石原氏が国家を熱く語る所以はこのあたりに有るといっていいだろう。つまり苛立っている。彼が男らしい振る舞いをすればするほど女々しい連中から非難を受ける。「男らしくするな。皆が迷惑する。」と言って。それは偏に女々しい連中を助長するだけなのだが…それで一番困るのは、イザという時に何も出来ない女々しい連中である事は言うまでも無い…
保守の両雄が腹を割っての直接対決
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日本の戦後政治史において圧倒的な存在感を示してきた二人の大政治家、中曽根・
石原両氏が政治観・国家観・歴史観から生い立ちや人間観・死生観まで余すところなく
語り尽くした一冊。両雄の疾風怒濤の人生と底知れない見識の深さに圧倒された。
二人とも保守政治家として名を馳せているが、その見解はしばしばぶつかり合い、
対談は攻めの石原、受けの中曽根といった体で進んでいく。石原氏はアメリカの
核の傘に疑問を呈し、独自防衛への道を模索すべしとするが、中曽根氏は米国との
同盟関係の堅持を主張。先の大戦についても、石原氏はアジアの植民地解放を
目的に含んだ自衛戦争とするのに対し、中曽根氏は植民地解放はあくまで結果で
あり、アジアからすれば侵略戦争だったと総括する。また台湾を国家として
認めてもよいとする石原氏に、中曽根氏は中国の主張に理解を示した上で、
中台両国の和解によって解決するべきとの立場をとる。
ただぶつかってばかりではない。互いに宗教の重要性や今の日本人が「垂直論理」を
失っていることなど、両者の認識が合一をみたものも多い。面白かったのは83年の
ソ連空軍機によるKAL機撃墜事件はアメリカの陰謀だったのではないかと石原氏が
唱えたのに対し、中曽根氏が「ミステリー小説の読み過ぎ」と一蹴したところだろうか。
石原氏と小泉総理は親戚だった
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数年前に気まぐれで買った本を休日に読みました。掲題のような逸話をはじめ、2人の生い立ちや政治を志した背景など興味深い内容でした。国防論や教育論に加え、「人口80億限界論」や「アジア諸国との共生」のついての議論も熱く、「永遠なれアジア、永遠なれ世界」という題目でもいけそうです。
「中国・北朝鮮になめられるな。アメリカはいけ好かないがうまく利用しべし」とする過激な理想派である石原氏と「中国による台湾統一も理解できる。原子力空母の日本入りも慎重にすべし」とする穏健?で現実的な中曽根氏の対決がみられます。
国を愛して止まないこのお二人にはまだまだ日本の改革を進めていただきたいです。
政治家とは
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今、国家論を語れる数少ない政治家の2人が国家というものについて思う存分語りつくした一冊。最近やっと国防という国の根幹とも言える政策を議論できる状況になったが、まだまだそのレベルは高いものとはいえない。しかし、国民意識はゆっくりではあるが、現実的な方向へ変わりつつある。国家を語ると右翼というレッテルを貼られ危険人物とみなされがちだが、国家というものがいかに人間にとって大切かということをこの本は認識させてくれる。
若干強引な展開もあるが、今、一人でも多くの人に読んで欲しい書である。