土門拳の思いが伝わる圧倒されるような写真群
★★★★★
土門拳の生誕100年を記念しての出版物です。彼の生みだしたおびただしい写真の数々、人物、風景、こどもたち、伝統美、仏像、社寺仏閣というバラエティに富んだ被写体、そして彼の代名詞となったリアリズムの作風、それらの写真の質の高さは撮られてから半世紀以上経っていますが、全く風化していません。「鬼が撮った日本」という副題ですが、その風貌もまた彼の個性を物語っています。
梅原龍三郎、志賀直哉、棟方志功、柳田国男、三島由紀夫、山口淑子など、モデルの内面、人間性まで見透かすような怖さが写真から伝わってきます。決して妥協することのない写真家であったことが伺えるポートレイトでした。
60ページからの「戦後の社会的リアリズムの時代」に掲載された写真はまさしく、激動の昭和を語るに相応しい作品でした。「砂川闘争 激突」などは、報道写真と芸術写真の双方から賞賛されるべき質の高さを感じました。
見たことのないようなクローズアップやアプローチによって見慣れたはずのものが新鮮に映り、対象物の真の美と醜を浮き彫りにするような作品が掲載してありました。
144ページの雪の室生寺の五重塔から、冷たさが伝わるような凛とした空気感が感じられます。
1943年の「新薬師寺 迷企羅大将立像頭部」の迫力あるクローズアップで取る手法は当時としてはとても斬新だったでしょうし、違う角度の仏様の表情を知ることになります。この木目の痕は遠くから見たのとは全く違うイメージをもたらします。
131ページに撮った時のエピソードも掲載してありますが、やっとの思いで撮った「平等院鳳凰堂 夕焼け」の写真は今も圧倒的な美しさで迫ってきます。傑作とはまさしくこれらの作品を言うのでしょう。
モノクロ写真の美しさ
★★★★☆
著名人のポートレイト、仏像、原爆、昭和の子どもたちの肖像など、モノクロながら、とてもよい写真、迫力のある写真が続く。モノクロの美しさを教えてくれるような写真が続く。土門拳のひととなりを紹介するのを読むと、僕のおやじの世代の人だけど、それにとても怖い人だったよう。
こどもたちはいきいきしている。筑豊の子どもたちの眼は悲しみにあふれているけども、芯の強さを感じることができる。最近、あんなこどもたちの眼をみることが無くなってしまった。
土門拳の写真集を見てみたくなった。
後世に残る入魂の写真
★★★★★
「いい写真というものは、写したのではなくて、写ったのである。計算を踏みはずした時にだけ、そういういい写真が出来る。ぼくはそれを、鬼が手伝った写真と言っている」(1953年)「大事なモノは見れば見るほど魂に吸い付き、不必要なものは注意力から離れる」(1975年)
そして、第一級の人の顔に肉薄する。被写体の底まで暴くような迫り方で梅原龍三郎・志賀直哉・棟方志功・柳田國男・三島由紀等を撮る。
戦後を駆け抜けたリアリズム魂。復興に向かう人々のヴァイタリティーとその影にひそむ社会的弱者の姿に焦点を当てた。浮浪者の焼芋泥棒、下町のチンドン屋、闘争の庶民の座り込み等がそれ。
「ぼくは日本一の写真家になるのだ」と宣言した山形県酒田での少年時代。
ライフワーク『古寺巡礼』(1963〜1975年)一切の妥協を許さない精神力で、仏像に相対し凝視した作品。
1990年、80歳で亡くなるまでを自ら撮った写真で追跡・追慕した土門拳生誕百年記念集として貴重だ。