純粋の画描き、ここにあり!
★★★★★
[ASIN:4763099043 夫の右手―画家・香月泰男に寄り添って]
黒々と塗り重ねられた「シベリア・シリーズ」の画面に魅せられた人びとは、香月泰男についてどのような人物像を想像するだろうか。峻厳で人を寄せつけぬ修行僧のような風貌か、あるいは名声にも世間の風評にも背を向け、苦悩する寡黙で孤独な人物か......?
だが、婦美子夫人の描く香月泰男は、およそその対極にある心やさしい家庭人であり、人であれ物であれ、身近なあらゆるものに愛情を注ぐ純粋な画描き。画を描くこと、それがすなわち生きてあることの証しだという道を、脇目もふらずに歩き続けて倦まなかった。だから画材を求めて広く旅をしなくとも、自分の家の台所や庭にある物だけで題材は十分と考えていた。のみならず、そこらに転がっている木の切れっ端や金物、こわれた道具類を拾い集めては、おもちゃ作りに熱中する。彼の絵を見ていると、野山や川や海辺に行って一人で無心に遊ぶ子どもの心を感じるが、もう一方で、シベリアにおける過酷な生活と故国の土を踏めず異郷で土に帰った戦友たちの無念を思い、いつも黙祷している人の悲しみが、ふっとよぎる。シベリアから帰還して以後、郷里山口県の三隅に住み、「わたしは国より 家族のはうが大切であると思ふ」−その思いを生涯絵筆によって実行した人の素顔が、ここにある。