明るい絶望を突き抜けて
★★★★☆
18歳の時から毎日ウィスキー1本分の酒を飲み続け、35歳でついに入院するハメになったアル中患者、小島容。彼はアルコール依存症から立ち直り、“現実”へと復帰できるのか・・・?
破滅型作家・中島らも自身の闘病体験に基づく小説なだけに、「アル中患者の見る幻覚ってどんな感じなんだろう?」なんてのを期待してしまうが、そういう興味本位の読者に対しては、膨大なデータに基づきブラックユーモアを交えつつ冷徹にアル中の恐怖を伝える怖い作品である。
話の筋そのものは割とありがちで、ラストなどは読んでいるこちらの方が気恥ずかしくなるほど“キメすぎ”なのだが、作者自身をモデルとした主人公小島の醒めた視線が秀逸である。アル中だから自暴自棄になるのか、自暴自棄だからアル中になるのか、たぶん両方なんだろうが、生への執着のない小島の達観とした態度(小島に言わせれば「解脱」ではなく単なる「衰弱」)にはある種の感慨を覚える。周囲の個性的な人物たちへの鋭い観察眼、社会への厳しい批評、そして深い自己省察。死と隣り合わせなのにどこか明るい奇妙な病院の中で、小島の思考は螺旋を描きつつも〈人は何のために生きるのか〉という哲学的命題へと迫っていく。
自分の人生を他人事のように眺め、自らの病気や不幸をも笑いのタネにする小島は、要するに斜に構えた人間で、ベタベタした人間付き合いを嫌う。ありとあらゆる資料を駆使して、人間心理を“科学的”に分析しようと試みるところに、その性格が良く表れている。“浪花節”はダサい、もっとクールに、スマートに生き/逝きたいのだ。不器用で繊細ゆえにニヒルを装って“現実”から距離を取ってきた小島が徐々に“人情”に流されていくところに清冽な感動があり、その終着点として“できすぎ”のラストがある。こうした構成は、ウェットな話をストレートに展開するのが照れ臭いから、ユーモアとニヒリズムで照れ隠しをする作者の気性を反映している。
「酒をやめるためには、飲んで得られる報酬よりも、もっと大きな何かを、『飲まない』ことによって与えられなければならない。それはたぶん、生存への希望、他者への愛、幸福などだろうと思う。飲むことと飲まないことは、抽象と具象との闘いになるのだ」
こんなひねくれた言い方しかできない、鼻持ちならない理屈屋が、たまらなく愛おしい。
バランス感覚とユーモア
★★★★★
アル中体験記、アル中論という感じの本だが、バランス感覚とユーモアが絶妙で、アル中でなくてものめり込めるほどに面白い。
アルコール中毒に関する医学的な対処法、考察に詳しいがそれに偏ることなく、アル中目線による本能的な考察もある。なるようになるという捨鉢に楽観的なアル中とその家族らの悲壮感。シュールな人生観と少年の死を目の当りにしたときの理屈なき感情の高まり。日常社会におけるアル中という非現実と病院という非日常のなかでの現実。
このような両極にあるものがバランスよく書かれている。そしてそのバランスをとっているのが笑いに媚びることのないユーモアのセンス。
今のところアル中には縁がないと思っているが、アル中体験者が書いただけあって、一線を越えたところにあるだろう世界には強烈にリアリティを感じる。
心地よい酩酊感。
★★★★★
アルコール依存症で肝臓を患っている小島容(いるる)という男性の話です。
旧友・天童寺や彼の妹のさやか、入院先の医師や患者など、
個性的で魅力的な登場人物だらけで、とても好きな作品。
らもさんの小説の中では一番好きかも。
タイトルも、内容ももちろん面白いけど、
いつも読み終わる瞬間に、「あー、このラストのために読んできたんだー。」って感じるような終わり方。
アルコール依存症の怖さもすごく伝わるけど、主人公の性格のせいか、
全編に漂う酩酊感が心地いいです。
アル中の基礎知識本みたい・・・
★★★★★
アルコール依存症の小説なのだが、薬学用語が多々使われており、リアルだ。
読後に爽快感が残るいい作品だと思う。
アル中文学の白眉
★★★★★
機会があって、何年かぶりに読み返しました。
やっぱり、いいですね。
著者自身のアル中体験に基づく描写は、非常にリアリティを感じさせてくれます。
主人公がスリップして病院に帰ってくる際のクライマックスには、
こみ上げてくるものがありました。
ドラッグを含む薬物に関する情報も満載で、
アル中文学の白眉、不朽の名作と言えるのではないでしょうか。