スタローンも見納めと思い
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スタローンも見納めと思い劇場に見に行ったのが、購入のきっかけです。
劇場には何回か足を運びました。
個人的にはロッキーシリーズでも一番好きで、1stと甲乙つけがたいと思います。
今更ロッキーなんてと考えている人は、期待を裏切られます。
セリフ回しが秀逸。
親子で感動。
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キレイな商品で大変満足しています。
親子で観て感動しています。
情熱の行方
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人はみな時間とともに、歳とともにかつて抱いていた情熱が薄れてゆく。
そんなものよりも今の自分はもっと器用に生きていると思っている。
でも歳をとっても情熱を失わない人間がいる。それを本作のロッキーが体現している。
ロッキー2〜5は駄作だと言われることが多々あるが、本作の布石と考えればあながち悪くもない。
ロッキーシリーズを通して見せてきた打ちのめされてもひたむきに立ち上がる姿が、このファイナルのメインテーマを”臭い”ではなく”リアリティ”と感じさせてくれるからだ。
本当に心を打たれる映画である。世の映画評に懲りずにロッキーシリーズとともに歳をとれた自分がうれしい。
本作をただのおとぎ話だと思う方や、歳をとってチャンプとよく戦っている姿を見て一笑にふす方のレビューがあるが、そういう方は一度ジョージ・フォアマンについて調べてみてはいかがだろうか。
本作のテーマをまんま体現した実在のボクシングチャンピオンである。かつてモハメド・アリと戦い、引退後に信仰心の深いフォアマンが初老になってからどのような気持ちでカムバックをしたか。また、いかに初老で世界チャンピオンになったのか。消えない情熱、いつまでたったも過去の自分を乗り越えようとする気持ち、折れない心。
かつて或る道に全身全霊をつぎ込んだ人間であればあるほど、その道に執着し、情熱を燃やし続けるものだ。かつて抱いた熱い情熱の残り火がまだ自分の中にあるうちであれば、本作を見た後で自身のかつての情熱を再び掘り起こしてみたくなるはずだ。
あの階段を駆け上がりたくなる
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シルベスター・スタローンをビッグスターにした「ロッキー」シリーズ最新作が本作だ。シリーズ6作目となる本作に登場するロッキーは、言ってしまえばもうおじいちゃん。だが心配はいらない。本作は、そんなおじいちゃんの熱きドラマが心に響く、実に素晴らしい作品なのだ。
ボクシング界の頂点にのぼりつめ、栄光の道を歩んだロッキー。しかしリングを去った彼は、愛する妻・エイドリアンに先立たれ、息子のロバートは有名人である父に引け目を感じて家を飛び出し、顔を合わせようとしない。自らの孤独を痛感し、心の喪失感をぬぐうため、ロッキーはボクシングを再び始めることを決意する。
このシリーズ最新作は、シリーズで1、2位を争うほどの傑作である。数を積み重ねる程、出来が悪くなっていく映画が多々あるが、ロッキーシリーズも本作までは例外ではなかった。たとえば前作シリーズ5では、スタローン自身が失敗したと断言する程であった。しかし、スタローンは再びロッキーを作り上げた。かつての英雄を再びリングに立ち上がらせたのである。
とにかく本作は熱い。オープニングから突き付けられる愛する妻・エイリアンの死、そしてかつての面影を感じないロッキーの寂しい姿。そんなロッキーの最後まで諦めない精神と闘い抜く勇気をこれまでのシリーズ以上に丁寧に描いている。また、スタローンが全力で見せるボクシングシーンも最後まで熱い。スタローンのロッキー愛を全編に渡って感じることが出来るのだ。
どんなに年をとっても最後まで闘い続けるロッキーの姿が本当にかっこいい。公開前は心配していたが、この映画は間違いなく「ロッキー」だ。
いかん、チャプター6-7 に泣かされる(涙)
★★★★☆
もちろん最後は試合シーンでアドレナリン全開にしてくれることのわかっているロッキーシリーズの作品だからこそだと思うが、(僕自身のトシのせいか)この『ロッキー・ザ・ファイナル』には、静かな導入部や、ロッキーのプロライセンス再取得へむかっていく物語の部分にいくつもの味わい深いシーンがあった。
泣かされたのは、チャプター6や7のロッキー達のちょっとしたやりとりだ。
自分にからんできたヤンキー達を、おまえ達どうしてそうなんだ?という訝しげな表情で見つめつつ、放っておいたロッキー、
けれど、その同じヤンキー達がリトル・マリーを傷つける言葉を吐いたときは黙っていない。
ヤンキー達をとっちめてクルマに戻ってきたロッキーが笑顔でリトル・マリーに言う、「あの男、君に謝ったよ」・・・ なんて、優しい人間だ(涙)
チャンピオンのディクソンも、試合シーン以外はあまり画面に出てこないし、人物としての存在感はシリーズの他のボクサー達(特に、カール・ウェザースの演じたアポロ・クリード)と比べれば弱めだが、ちょっとしたやりとりで、ひとりの悩める人間としての奥行きを見せている。
チャンピオンになってエージェントや取り巻きがつくようになっても全く幸せそうな顔をしていないディクソン、
かつてのトレーナーに会いたくなって古巣のジムへやってくる。
人間的な成長はこれからというディクソンの隣に腰かけてその元トレーナー(マーティン)のする話は、いかにも!な話なのだが、しかしその話を聞いて初めて笑顔を見せるディクソンがいい(涙)
その他、あらゆるやりとりが、情け容赦なく、トシのせいでゆるくなったこっちの涙腺を直撃してくる。
けれど、他の役者達がこの脚本で演じてこれどころでないクサさになってしまう可能性はある。そんな場合を勝手に想像してから改めてここでのスタローンや他の役者さん達の芝居をみていると、やっぱり押さえるところは押さえていて、抑えが効いていると思う。そしてこの現実離れした物語の主人公であるロッキーと、リアルに老いていくポーリー(バート・ヤング)やスパイダー達が、フィラデルフィアの街を背景に画面・物語のなかで不思議に共存している。
エイドリアン(タリア・シャイア)はロッキーの回想の中にだけ登場。けれど、そのことによってある意味、この物語全編にエイドリアンが存在している。
エイドリアンに先立たれて元気のなかったロッキーが、リトル・マリーと話したり散歩したりして楽しくしているのは、いいじゃないか。
亡くなった誰かのを代わりを、生きている人間が出来るわけじゃない。けれど、人はこうしてなんとか生きていくんだから。
そしてこの映画の本当の主人公は、このフィラデルフィアという街、そしてアメリカという国なのかもしれない。
これは大人のおとぎ話かもしれない。けれど時々、アメリアを馬鹿にして話を片付けてしまうよりも、自分自身が走り出さなきゃと思うのは、こういう映画を観たときだ。いつかこの世を去るとき、思い通りにならなかったことを人のせいにして腹を立てながら逝くよりも、誰かにありがとう、と言って逝けるほうがいい。それはアメリカだろうが日本だろうが同じじゃないか。