畢竟の名曲『レクイエム』 アーノンクールの演奏によせて
★★★★★
モーツァルトの「レクイエム」については多くの思い出がありすぎて、これまでレビューを書いてきませんでした。いまさら何を書けばよいのか、ということもありました。何より聴くのも感動的ですが、様々な名指揮者のオーケストラと歌った喜びには代えられませんので。
曲の解説はしません。有名すぎるほどの曲ですし、宗教曲だけでなく、クラシック音楽の中でも後の作曲家に与えた影響は計り知れないと言われる曲です。
リーフレットには、アーノンクール自身による解説もあり、ベンヤミン=グンナー・コールス(ジェスマイヤーの補筆やバイヤー校訂版についての見解には同意できませんでした)の解説もありますので、それをお読みください。アーノンクールが放送局に対して語ったコメントもありますから、これは勉強になりました。
オリジナル楽器もしくはピリオド楽器と言われる古楽器を使用し、バロック音楽の世界観を構築してきたアーノンクールが、2003年11月の74歳になろうとした時に収録した新盤です。1981年の旧盤は未聴ですが、ウィーン・ムジークフェラインザールの残響が効果的なライヴ録音ですから、抑制のある一見冷静な演奏のように聞こえますが、込められている熱は伝わってきました。
なにしろアーノンクールの思いが詰まっているウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの創立50周年記念演奏会ですから。素晴らしい演奏であることにはなんの異論もありません。世俗を突き抜けた先にある昇華した景色が見えたようです。
楽器の減衰同様、合唱も声を減衰させています。ロマン派の色が濃いこのレクイエムですが、そこからバロック期最後を飾る宗教曲のような装いを感じ取りました。その意味ではアルノルト・シェーンベルク合唱団はよく訓練されています。奏法同様、歌唱法を揃えた演奏ですから、音楽様式にも違和感がありません。
ただ、クリスティーネ・シェーファー、ベルナルダ・フィンク、クルト・シュトライト、ジェラルド・フィンレイといったソリストの歌唱はどうだったでしょうか。アーノンクールとも共演し、宗教曲の経験も豊かな歌手たちですが、ベルカント唱法が身に付いており、ヴィヴラートの歌唱法が気になりました。合唱とソリストの微妙な表現の違いはいかがでしたでしょうか。
エマ・カークビーのようなノン・ヴィヴラート唱法とは言いませんが、ソリストもまたアーノンクールの音楽観を具現化できる人選が望まれるところです。そうされたのでしょうが。
旧盤との比較でアーノンクールの進化が見える
★★★★★
2003年11月から12月にかけてムジークフェラインザールでのライブ録音。フランツ・バイヤー版。
2006年11月19日の来日公演(住友生命いずみホール)でこの曲を聴いたが、ライブとCDでは
解釈に大きな差はなかった。ともに歴史的な名演奏として評価は定着したようだ。 いずみホールでの演奏は
格段に優れていて「演奏が終わっても感動のあまり数十秒にわたって全聴衆が拍手できない」という貴重な体験をした。
アーノンクール&コンツェントゥス・ムジクスのレクイエムには
1981年10月末から翌月録音のCD(ウィーン国立歌劇場合唱団 テルデック・スタジオでの録音)
1981年11月1日(万聖節)収録のDVD(同じ演奏者による楽友協会大ホールでのライブ映像)
がある。
両盤を比較すると20年間のアーノンクールの進化の方向性が分かりやすい。
旧盤はバッハの受難曲&カンタータ、ヘンデルのオラトリオに取り組んでいた頃の、
一番「アーノンクールらしい」直裁・ドラマティック、激越・熾烈な表現に満ちている。
<円熟>してない演奏で、面白さは格別である。早い楽曲の最後の一音を(フェルマータがあっても無視して)
短く唐突に終えるスタイルは、バッロク音楽の<導師>の面目躍如たるものがある。
新盤は、根源的で原初的な響きに満ちていて、ブルックナーの第5番(モツレクへの賛歌として 作曲された?
アーノンクール&ウィーンフィルの理想的なCDあり。来日公演プログラム)と接近する。
刺激的表現は減ってはいないが(遠近法的に)遠くに配置され、それなのにコントラストはいっそう鮮やかになった。
円熟して<棘>は取れたので、もはや聴き手は「辛くない」。しかし「鋼の意志」には全く変化がない。
これこそが彼の進化・円熟の本質である。