将来への不安が少なかった昭和的中流、不安が多い平成的中流
★★★★☆
たとえば、正社員サラリーマン家庭を中流ととらえて、
感覚的に、話を展開しているように思えます。
「中流論」というエッセイを読む、と思えば
いいのかと思います。
現在は昭和の時代と違って
「中流」とひとくくりにできない事情はありますが、
ある程度、「中流」についての
流れや雰囲気をとらえているのかと感じます。
本の最後の方に
「資本を救いとみなさない」ことが 、、、
との記述があります。
ここが
「中流」で幸せに生きて行くポイントなのかもしれません。
資本って誰?
★★☆☆☆
「日本においてネオリベラリズムとはこのように資本が増長させた組合勢力を再び弱体化させるための手段にすぎない。」
「ネオリベラリズムとは、前章までに論じた資本の暴力を体現するものに他ならない。」
「エンクロージャー=本源的蓄積過程とは、その都度のコモンズの発見/創出/取り戻しという脅威に対して、
それを資本のロジックに回収するための資本の戦略であるといえる。」
「コモンズは資本にとって敵であり外部である。しかし殲滅すべき敵ではない。資本はコモンズを必要とする。」
「資本にとって協働は「自然化」され、不可視となる。」
「彼らはもはや資本を「救い」とはみなさない。資本が恐れることはこれである。」
以上、本書において、太字で強調されている箇所の一部です。
こういう表現に抵抗感を持たない人向けの本ですね。
日本ではうけない多数派批判の書ではあるが
★★★★☆
特に勝ち組意識もない日本のミドルクラスをやり玉に挙げているために、本書の評価は大きく分かれるだろう。前半、第二組合成立の経緯から現在のミドルクラスの存在をたどる試みでは、ネオリベ的改革によって寸断されようとしている大企業ホワイトカラーの紐帯=労組の存在そのものが矛盾に満ちたものであり、何十年か昔に繁栄を謳歌したとされる日本の中間層もまたそのような矛盾に満ちた存在であることが暴かれる。いや、このようなことは特に暴く必要もなく戦後史の中で自明に横たわっている事実であるが、大多数が目を向けたくない事実であるために、隠蔽されたように見えるだけだ。その意味で戦後史の時空間の中で忘れられた「第一組合」は「沖縄」や「加害者としての日本像」に重なるものがある。
具体的でリアリティのあった前半に比べて、ミドルクラスなるものの世界史的な位置づけを意図した後半部分はやや性急で未消化な感がある。資本の外部としての「コモンズ」についても少しきれいごとに過ぎる感じがする。
社会学の本ではない。卒論レベルです。
★☆☆☆☆
根拠のない思い込みと断定と印象論を「社会学の論文っぽく」書こうとしてる卒論のような愚作。
この一年間で唯一買った事を後悔した本です。
お金を出して買うレベルの文章ではない。
この本に「社会学の最新成果!」とコピーをつけた出版社はひどい。
一部を引用すると「現在、格差社会を批判する言説は受け入れられつつある。しかし、格差社会をどう是正するかに関する議論はいまだ明確なかたちをとっていないように見える」
以下、延々と、〜ように見える、そう感じざるをえない、〜かもしれない、でき上がっていたように思える。内面化させてきたのではないだろうか。もちろん、〜とは言えないかもしれない。
断定している部分についても、「作者がそう感じているだけで、読者を納得させる要素がない。
にもかかわらず、自分の印象を既定の事実のように書いている」という点がひたすら不快な本でした。