Paris to the Moon
価格: ¥2,991
1995年、ゴプニックはニューヨーカー誌に掲載する「パリジャーナル」を書いてくれないか、という贅沢な仕事を依頼された。そしていま、妻のマーサ、息子のルークと共にパリで過ごした5年の間に書きつづった文章が、掲載されなかったものも含めて、ここに1冊の本となった。自分のことを「ユーモアも感情の機微も解するエッセイスト」と呼ぶ彼が題材にしているのは、パリ名物のロマンスだ。カフェや小さな店、公園にある年代物の回転木馬、そしてそこで起こるささやかだけれども意味深い体験など、パリではごくあたりまえの文化生活に恋をしてしまった、と彼はさらりと言ってのける。だがパリに恋するのは難しくもある。とりわけ、尊大で難解な役人文化とそれに並ぶように存在する新聞界。パリのこのような二面性と、グローバリゼーションに直面して見え始めたフランスの優位性のかげり(現在、経済と同様にオートクチュールや料理や性文化も下り坂である)との間に生じる緊張状態を、ゴプニックは緻密でウィットに富んだエッセイにし、その根底にあるものを浮かび上がらせている。ゼネスト中に感謝祭用の七面鳥を配達してもらおうとしたときのことや、住宅配給の不正に絡んで政府がスキャンダルに揺れている時期にアパート探しで苦労した話に見られるように、著者は、細部を彫りこみながら全体像をくりぬいていく手法を用いている。エッセイにはフランス国内および地元パリからのレポートと、国外に移住した家族の生活模様がかわるがわる登場する。そこでは、「子どもと料理と見て楽しむスポーツ(ショッピングも含む)という、世紀末らしい3つのブルジョワ強迫観念」が強調される。なかには、あるレストラン王による買収に抗議しようと、買い取られた地元のレストランをパリのオートクチュールが「占拠」するという、いまや伝統となっている儀式や、ブラックジーンズに胸をはだけた黒いシルクシャツ、といういでたちの医者の介助で生まれた娘の話のように、まさに「決定的瞬間」をとらえたエピソードもある。ゴプニックは一貫して、ファッショナブルな社交界の端に立つ傍観者というスタンスをとりながら、パリとニューヨークをうまく比較し(「たとえて言うなら、アメリカの電化製品が、みんな車になるのを夢見ているとすれば、フランスの電化製品はみな電話になりたがっているようなもの」)、両者の本質に哲学的な鋭い考察を加えている。本書は、知性と温かさ、そしてチャームが見事にプレンドされたルポルタージュの傑作である。