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日本人と戦争責任―元戦艦武蔵乗組員の「遺書」を読んで考える

価格: ¥1,785
カテゴリ: 単行本
ブランド: 高文研
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“渡辺清”にたどり着く為の書 ★★★★★
 城山三郎が、志願して海軍特別幹部練習生であったことや、一兵士の無念さを『指揮官たちの特攻 』に書き残した事は知られているが、渡辺は更に鮮烈にその無念さを書き、生涯を通じて、戦争責任を忘れた天皇を頂点とする大勢順応主義に対する怒りを「もしそこ(“支那”)に居合わせたら、おれだって何をしでかしたかわからない」との含羞をもちながら遺していったのだが、少なくとも私は知らなかったので、それを知っただけでも意味があった。
 それをたたきに懸談が行なわれるはずが、内容は戦時中だけでなく現在へと当然ながらリンクされ、膨れ上がっております。

 両者の熱心な読者であれば、「どこかで眼にした」話題も多いでしょうが、一方通行でなくい、相手の反応を楽しみましょう。

 「核武装」を唱えるような2世議員に対し、実際の戦場で手足のちぎれた子どもや焼かれた女性の死体を目の当たりにしても、兵隊や殺される側の気持ちが分からないと手厳しい斎藤と、危機管理意識の高揚が右傾化や民族主義の薄い衣をまとってるだけ(但し軸がぶれやすい分だけやっかい)とし、伊丹万作を孫引きして「だまされる者の責任」を問いつつもどこかに希望感をもっている森。
 その両者とも、(吸血国家として朝鮮・ベトナム戦争特需で経済復興し、大国となった今の日本があるのだから、相手が許してくれるまで未来永劫謝ればいい。それが面倒くさすぎるからこそ戦争はしてはならない。)と結論付ける。 これに納得いかない人たちは、彼らを“サヨ”と呼び、思考停止に陥り、直接的反論をしないのだろうが、同じ意見の者同士でなく、全く対立する“親米保守”との対談を読みたいと思うのは、彼らを批判する人々も同意見ではなかろうか?
静かな「戦時中」なのかも ★★★★★
今の時代に絶対、よく読んでおくべき必読の書だと思う。

朝まで生でやっているテレビのように、人の話も聞かずに、
反米だ、護憲だと声高に言う厚かましい議論ではない。
その結論に導くまでに、多くの議論と個人の悩みも交えながら、
答えを探していく過程に深い感銘を受けた。
戦中派の著作を引用しながら、自らの弱さや汚さも含めて、
この日本の国民性を討論し、二人でゆっくりと確認してゆく。
天皇制を含めて、日本の成り立ち、精神性、文化に対して、
自分を含めた上で、連綿と続く日本国民の「底なしの無責任さ」
をちゃんと話している姿が読んでいて静かに心に刻まれる。
確かに、「綺麗事」を言っているかもしれないが、あえてそれを
やってみようと言う姿が立派だと思う。
さすが、メディアに対する二人の視点は、まさに私が日頃、苦々しく
思っていた事でした。

これを読んで生きていくか、読まないで生きていくか。
読むことで、この国の見え方が全く変わります。
これを読んで気がついたのは、明らかに日本は、戦争に向かって、
進んでいます。すでに、静かな「戦時中」なのかもしれません。

複雑なことを単純化しないこと。そして、ちゃんと説明する。
その説明を聞く。そのことを肝に銘じました。

1960年代の人間は、そろそろ読んでも良いと思います。
我々の世代からは、次の世代の日本を考えてあげましょう。