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声の文化と文字の文化

価格: ¥4,305
カテゴリ: 単行本
ブランド: 藤原書店
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訳文について(まちがっていたら御免) ★★★☆☆
「ことばに支えられた」文化とは、高度技術文化とくらべて、つぎのようにいうことができる。それはまず、行動の手順や問題へのとりくみかたが、ことばを効果的に使うということに、したがって、人間どうしのやりとりにずっと大きく依存している文化であり、さらにまた、ことばを介さず、多くは、もっぱら視覚的なしかたで事物の「客観的な」世界から[知識を]入力するといったことには、[高度技術文化と比べて]ずっと依存しない文化である。・・・・ここでは、この用語の用法を広げ、まだ声の文化の影響を非常に残しているために、依然として、人と人とのやりとりのコンテクスト(声としてのことばにもどづくコンテクスト)のなかで、ものよりもことばに重きを置く傾向のつよいあらゆる文化を含めることにする。もちろん、ことばとものとはけっして完全には分離できない、ということは言っておかなくてはならない。なぜなら、ことばはものを表示するわけだし、ものの知覚は、部分的にことばのたくわえによって条件づけられ、知覚はことばのそうしたたくわえのなかに宿っているからである。自然はどんな「事実」も語らない。なぜなら、「事実」は、人間が、自分たちを取り囲む現実というつぎ目のない織物を指し示すためにつくりだす言明のなかにしかあらわれないからである。 『声の文化と文字の文化』p.145-146

怪しげな訳文である。特に後半、文と文の意味のつながりが今ひとつ不分明である。

以下、第四文から後の部分の原文。

It should, of course, be noted that words and objects are never totally disjunct: words represent objects, and perception of objects is in part conditioned by the store of words into which perceptions are nested. Nature states no 'facts': these come only within statements devised by human beings to refer to the seamless web of actuality around them. Orality and Literacy, 2002, Routledge, p.67

この部分は、著者オングの言語観と認識論のキモが露見しているところだから、注意して扱わないといけない。拙訳を掲げる。

もちろん言っておかねばならないが、ことばとものとは完全に乖離しているわけではけっしてない。ことばはものを言い表すのだ。だからものをそれと知覚するには、ものの知覚が繰り込まれていることばをそこそこ知っているかどうかにかなり左右されるわけだ。自然というものはそのままではどんな「事実」も語らないのである。「事実」とは、自分たちを取りかこむ現実という継ぎ目のない織物に関して人間がつくりだしたさまざまの語りごとのなかにしか現れないものなのである。


perception of objects is in part conditioned by the store of words into which perceptions are nested について。

わかりやすい日本語にするにはひっくり返らず英文の語順どおりに訳せという教えに翻訳者はしたがったようだが、時と場合による。この文では関係詞節は素直に先行詞につなげて訳すほうが意味が通じる。

the store of words で store を「たくわえ」とか「蓄積」と訳すのは馬鹿正直すぎるのではないか。a store of 〜で「たくさんの〜」。(a) plenty of 〜、a lot of 〜 などから類推する。 a でなく the なのは関係詞節が後に付くからか。

nest A into B は、たまたま利用した『研究社新英和大辞典 第六版』に「A をBに繰り込む」という訳がのっていた。この翻訳本が出版されたのは1991年だから、そういう訳をのせた英和辞典はその頃はなかったかもしれない。 Random House Webster's College Dictionary, 1991 には to fit or place one within another なんて語釈が書いてある。「入れ子にする」なんて訳もある。

these come only within statements devised by human beings to refer to the seamless web of actuality around them の訳について。

翻訳者たちは 

 Human beings devise statements to refer to the seamless web of actuality around them.

と考えて、to refer の意味上の主語を human beings と解しているようだ。訳を見るかぎりではこの不定詞は副詞用法(目的)らしいが、人主語の場合 refer to 〜 を「指し示す」と訳すのは問題があると思う。

「(代名詞が)〜を指す・受ける」という意味もあるが、それは主に文法用語としてのようだ。

 What is the antecedent that this "it" refers to? このitがさしている先行詞は何ですか。『研究社新編英和活用大辞典』

 The asterisk refers to a footnote. 星印は脚注参照を示す。『旺文社オーレッスク英和辞典』

形容詞用法と考えると、意味上の主語は statements になる。

 statements to refer to the seamless web of actuality → Statements refer to the seamless web of actuality. 

この場合、refer to 〜は「〜に関係する・関連している」「当てはまる」などが適訳となる。

The information refers to this case. その情報はこの事件に関するものだ。『研究社ニュースクール英和辞典』
This statement refers to all of us. この言葉はみんなに当てはまる。『研究社新編英和活用大辞典』
The law refers only to foreigners. その法律は外国人にのみ適用される。『小学館ランダムハウス英和辞典』
The rule refers only to special cases. その規則は特別な場合にだけ適用する。『研究社リーダーズ英和辞典』

statements はここでは「物語り」、「ことば」くらいに訳しておく。

statements to refer to the seamless web of actuality は「現実という継目のない織物に関することば」「現実という継目のない織物にふれたことば」

この本をまじめな研究に利用しようとお考えの人は、原書と照らし合わせて読んだほうがよいと思います。
形式が内容を規定する、あるいは既定する ★★★★☆
 内容が形式を規定する、そしてまた、その逆も然り、すなわち、形式が内容を規定する。
 表現はすべてその形式に従属する。
 例えば何を書くか、なんてどうでもいい、例えばどう書くか、それがすべて、とまでは
オングはさすがに言わないけれど……

 本書は、「『一次的な声の文化(orality)』、つまり、書くことの知識をまったくもたない
声の文化から、文字の文化(literacy)への移行」がどれほどまでに人間の「思考のかたちを
変え、……社会の過程や構造にかぎりない影響を」与えたのか、あるいはまた、来るべき
ITコミュニケーションがいかなる変化を人間にもたらすのか、について考察する。

 そうは言っても、「声の文化と文字の文化とを対照させる研究はまだすっかり終わった
わけではなく、まだまだなすべき多くのことがらが残されている」との氏自身のことばの通り、
このジャンルは今なお豊かな可能性を秘めている。
 ややもすると荒削り、しかしそれゆえ魅力的。

 参照すべき文献は十分すぎるほどに本書の中で紹介引用されてはいるが、筆者に
極めて重要なインスピレーションをもたらした、いわば本書の姉妹本と称されて然るべき
マクルーハン『グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成』を併せて読まれることを
強力に勧めたい。
声と文字の文化から、意識の進化を探る。 ★★★★★
フランソワ・トリュフォー監督(1932〜1984)のSF映画「華氏451度」(1966年)で、本の所持と読書が禁じられた世界で、発見された本を燃やして処分する職業がファイアマンという物語から、「文字」に対する意識が高まった。

映画「華氏451度」をビデオで見た頃、ウォルター・J・オング(1912年生まれ)著『声の文化と文字の文化』に出合った。

「声の文化と文字の文化」に、どんな違いがあり、それぞれの作用があるのだろうか?

p76 知っているというのは、思い出せるということ 記憶術のきまり文句
声の文化においては、ことばは音声にかぎられる。このことは、[そうした文化における]表現の様式ばかりでなく思考過程をも決定している。知っているというのは、思い出せるということである。

「第四章 書くことは意識の構造を変える」は、特に重要である。
p166 読み書きが身にしみついた人間とは、たんに生まれながらの力ではなく、書くという技術によって直接ないし間接的に構造化された力から思考過程が生じているような人間のことである。(中略)どんな発明にもまして、書くことは、人間の意識をつくりかえてしまった。

p363 書くことは、[他人とはちがう]自分自身という感覚を強めることにより、人びとのあいだのいっそう意識的な相互作用をはぐぐむのである。書くことは意識を[一段高く]ひきあげる。

コミュニケーションとしての会話、グーテンベルグが発明した活版印刷技術による本の登場から読む時代へ、そして「書くことが意識を高めてくれる」ことを、高度な見識で考察された本書である。
充実の内容。ぜひ時間をかけて攻略してほしい一冊 ★★★★★
多くの人や書籍が、本書に多大な影響を受けたということで、ずっと気になっていた一冊。
いつか読みたいと思っていたが、やっと読むことができた。

結論から言えば、高額な値段をかんがみても、十分以上に得ることの多い一冊だった。

我々は「読む」ことを当たり前に思っているために、「読む」ことを知らない人々の価値観がどんなに我々と異なっているかを知ることが容易ではない。
書かれたものは何度でも読み返すことができるが、話されたものは一瞬。
だからこそ、声の文化では慣用句や繰り返しを多用して、意識付けを行う必要がある。

本書は西欧文化圏の元に成立した本だけに、事例として『イリアス』等古代ギリシャなどの例が用いられることが多いが、これは『万葉集』やその他日本の古典文学を読む上でも、多くの気づきを与えてくれる。
とにかく本書から受けた示唆はあまりに多すぎて、ここにすべて書き記すことはできない。

ただ思ったことは、本書を表面的に読んでしまうと、
「声の文化は劣っている、文字の文化は優れている」
という表面的な認識を持ってしまう危険性があるということ。

著者も注意深く、そう思われないように論を展開しているのだが、要点だけ拾い読みするとそう思われかねない。
だからこそ、本書は腰をすえて、線を引くためのペンを持ちながら、じっくりと挑んで欲しい一冊だ。
文字の使用=思考の深化 ★★★★★
文字は人類最大の発明、とはよく言われますが、その衝撃と人類史に与えた影響は、文字を使い文章を書くことに慣れきった現代の私たちの想像を遥か遥かに越えたものだったようです。

文字を使い文章を書き推敲することが、思考を格段に深化させたのです。
文章を練ること≒思考を組み立てること。
確かに、書かずに複雑なことを考えるのは至難の業です(少なくとも私には)。

といっても、文字を知らない文化が遅れているというのではありません。
それは文字の文化とはまったくと言っていいほど違う文化なのです。

そして「書く」ということは、意識を内面に向かわせます。
話す=声の文化は、相手なくして成立しませんが、
書く=文字の文化は、自分との対話であり、内面を取り出す作業です。
本書でも触れられていますが、聖アウグスティヌスが『告白』を書き綴ったことが思い出されます。その意味は私たちが感じる以上に重いものだったのではないでしょうか。

もしかしたら、文字を知らない文化では「自己」という意識も希薄だったのかもしれません。
書くことの内面化が自己意識を増幅させてきたのだとしたら、じゃあ現在は・・・。

訳文がわかりやすく文章的には読みやすいです(苦労の跡は見られますが)。
が、その読みやすさとは裏腹に、非常に大きな問題を扱っていると思います。
読んでよかったです。