ほんとうに宗教的な現代音楽
★★★★☆
アルヴォ・ペルトの世界
旧ソ連、エストニア出身のアルヴォ・ペルトを聴き出したのは、『アルヴォ・ペルトの世界』というディスクがECMから発売された1987年あたりから。そのうちの1枚が本盤。
久しぶりに聴いてみると、収録のどの作品も古びていないというか、もともとがバロック音楽のようなテイストなので400年や500年も聴かれてきた音楽のようでもあり(そうではない現代的な面もあるように思うが)、不思議な感動に浸らされた。
演奏者のヒリアード・アンサンブルの歌唱・合唱が素晴らしく、さらにギドン・クレーメルのヴァイオリンが物凄い。最後に入っている『スターバト・マーテル』が本盤の白眉だと思うが、静かに、低く、重く、大いなるものを下から仰ぎ見るように慎ましく、まるで前に進むのが神に対する不敬であるかのごとくゆっくりと動く音楽のなかで、3箇所クレーメルを中心とする弦楽の走句が挟まれる。
それはある意味、この曲が現代音楽であることの証しとも言えるのだが、それもクレーメルのまったく歌わない、甘さを徹底して排した超絶ヴァイオリンのゆえだろうと思う。衝撃的な音楽である。とは言え、その音楽自体は、決して現代音楽風の難解なものではないのだが。
現在、ペルトはどのように聴かれているのか?
ガス・ヴァン・サントの映画音楽などでも活躍している模様だ。『ミゼレーレ』やこの曲には、現代のシュッツという趣きを勝手に感じているのだが・・・。白石美雪のライナーノーツには、「反ミニマリズム」と書いてある。なるほど、それはそうだな。
近年、ブルックナーのシンフォニーをリリースしていたデニス・ラッセル・デイヴィスの指揮によるタイトル曲『アルボス』も不思議な魅力を持った忘れ難い作品だ。
それと、そうなんですな。
このアルバム、芭蕉の句が掲げられており、アンドレイ・タルコフスキーを追悼する旨が記されている。タルコフスキーは1986年に亡くなっている。
タルコフスキーの映画作品『ノスタルジア』や『鏡』などには祈りの映像作品という印象が強く残っているが、同じくペルトの音楽も「祈りの形式」というようなものなのだろう。“ティンティナブリ”だとかセリーの形式と言われ、前者は聖職者の鳴らす鈴の音というような意味もあるそうだが、素朴な祈りの慎ましさを最も感じる。
魂の高揚だとか、快活な気持ちにさせられることはほとんどないが、いつの時代も様々な不幸や悲しみを抱えるということが普遍的な事態であり、個々人はその悲しみに独りで潰されるのではなく、その悲しみをある共同性に導くためにこの音楽があるのだとしたら、これは今こそ聴かれるべき音楽である。
うん、回りくどいなあ。この音楽には、人間が本来求めて止まない(らしい)宗教の純粋なかたちが現われている。
偽悪的に言えば、ペルトの音楽は悲しみに淫するような真面目すぎる音楽であるが、そこには畏怖やパスカル的な存在論、神の前の無力といった、人間の敬虔で謙虚な姿への希求や渇望がある。ペルトの音楽には、ほとんど絶滅危惧種の稀少性があるのではないか。畏怖というが、それは大いなるものヘの予感や、他者への畏れというものではないかと思われる。