ジャポニズム 浮世絵
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ジャポニズム:浮世絵は、現代では漫画、アニメ、コスプレに警鐘されている。
日本の美術の核心を確信持てれば、革新が始まるのだろう。
美は国境を越える
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千住さんの他の著書と同様に、過去の偉大な画家に対する見立てが秀逸です。
例えばダヴィンチ、ミレーがその時代の絵画の転換点に位置していたとする考えや、尾方光琳の紅白梅図屏風が光琳の酸いも甘いも知った自分の人生を振り返り、方丈記の無常を示しているという考えがその理由も合わせて詳述されています。
また、極東日本を文化の最終到着地と理解し、仏像等を例にとり、平安の時代から世界の文化が日本文化の中で熟成されて息づいており、他国に類を見ない265年間もの平和な江戸時代に更に爛熟した文化における(当時の西洋画にない大胆な色彩や構図等を持った)浮世絵がモネやマネ等の印象派画家達に大きな影響を与えたという考えはなるほどと思いました。
アムステルダムのゴッホ美術館に行けば、ゴッホが模写した浮世絵の絵が数点飾っていますし、そこで販売されているゴッホの全・油彩画集には、日本が印象派に対して果たした役割はギリシャ・ローマ芸術がルネッサンスに果たしたものと同様であったと記述されています。
本書のテーマは「一般の人に対する美術の啓蒙書のような本」とのことですが、美術館に全然足を運ばない方、よく行くけれども美術史についてあまり知識がないという方には美術をより楽しめるツールとして、お勧めできると思います。
最後に、とどのつまり、芸術への正しい接し方というのは「好きか嫌いか」だと千住さんは述べておられますが、千住さんに興味を持たれた方は、六本木ヒルズのグランドハイアットに飾られている滝の絵を見て、「好きか嫌いか」を判断して頂ければと思います。
蛇足ですが、私は千住さんの他著で、モネの絵で圧倒的に重要なのは睡蓮ではなくて最晩年の黄色いアイリス等だと述べられていたのをきっかけに、パリのマルモッタン美術館に3度足を運びました。私にとっては睡蓮より黄色いアイリスの方が「好き」だったようです。モネが好きな方はマルモッタン美術館も立ち寄られては如何でしょうか。
美術のうわべ
★☆☆☆☆
「美術の核心」というより「美術のうわべ」の本であるかも。「ポップアートは反ヨーロッパ」とあるが、ポップアートは実はイギリス発生であり、反ヨーロッパは抽象表現主義のことである。「印象派はリアリティーを求めた」とあるが、クールベなどの写実主義への言及もない。大人が作った縄文土器を子どもの粘土と比較するのも的外れ。ボッティチェリからルネサンスが始るように書かれているが、中世から決別する感情表現のあるジョットへの言及もない。バルビゾン地方に自然が残っているのは作家たちが環境保護運動をしたからである。美術史への造詣が深いとはとても思えない。「ゴチャマゼ」「すったもんだ」「ざまあみやがれ」「グチャグチャ」などの下品な言葉使いも問題かも。彼の「ウォーターホール」もアメリカの女性作家パット・ステアーの方が先に描いているのかもと、気になるところ。
ちがうと思う
★☆☆☆☆
内容は どこかで聞いた事が多くて どうしても書きたかった事が書けた(帯)というほど大げさな物ではない。
最終章は著者の考えが最も多く披露されているが「日本画とは日本語で考えて描かれたもの」というのはずるい。言語自体が文化なのだし思考の根幹なのだから 日本画とはの答えにならない。言語が思想や感性に影響しているとしても では南米はほとんどの国がスペイン語だけど それぞれちがう文化や思想をもつのはどう説明するのか。
また「日本文化は外国からの様々な文化を取り入れる事で形成されてきた」だから日本画もいろんな物を受け入れて 何でもありなのだというのも変だ。日本画という言葉がつくられたのは 西洋の絵画とは一線を画すという事に意義や価値があったからだと思う。そこの考察がない。
岡倉天心は日本画の中に意図的に浮世絵も 南画も入れなかった。その流れを受け今も美術系大学には浮世絵や水墨を教える教室はない。大和絵を源流とし 京都では特に写生を重視する事を基本として日本画が形成されてきた。それぞれ日本画に対する確たる思いがあったのだ。それを否定するのは自由だが 著者には根本が理解できていなくて ただ混乱しているだけのように思える。
最後に この本は誰に向かって書かれたのだろうか。美術にあまり関心のない人に向けた啓蒙だとしても なぜか人を見下したような書き方に思えて気になった。
描く人ならではのものの見方
★★★★★
圧巻は尾形光琳の紅白梅図について語った部分。
これは現役でしかも第一線で活躍している画家にしか書けないことでしょう。
感動的です。