今回世に問うたこの『花街』も、都市の近代化によって生み出された空間をあぶり出そうとしている。加藤によると、「花街」と聞くと、春を売る「遊廓」を想起する人が多いのだが、本書で注目する「花街」は概念上は「遊廓」とは別個の「芸」を売る芸妓たちの空間である。だから、本書のタイトルを聞いて「遊廓」を求めてはいけない。
本書でまず、加藤は地図を用いながら目に映ずる可視的な空間としての花街を提示し、それが近代の都市空間の生産と結びついていることを分かりやすく説いている。本書が「歴史地理」を掲げるゆえんの一端とも言えよう。その後、大阪、神戸、鹿児島などの具体的な花街の様相が提示されていく。これを通して、わたしたちは近代都市の中で生み出され、消えゆく空間へと誘われ、想像することになるのである。
都市空間にたしかに存在したにもかかわらず忘れ去られていった人々、それを取り巻く社会状況を露わにする加藤の姿勢は、前~~著から一貫している。そこには、政治的権力も介在する。加藤の研究に、かつて社会学者吉見俊哉が『都市のドラマトゥルギー』で見せた視点を感じる。難を言えば、文章は上手いのだが、上手いが故に言い回しが少し難しいところだろう。しかしそれを上回る内容となっていることは請け合いだ。
花街は、芸を売る芸妓であり、春を売る娼妓とは別物であるが、本書の端々には、そうした概念上の区分を乗り越え、両者が混在する曖昧な部分が存在することが窺える。次作にはいわゆる「遊廓」をもあぶり出すのだろうか。今後に期待したい。