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剣の精神誌―無住心剣術の系譜と思想 (ちくま学芸文庫)

価格: ¥1,575
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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古武術小史 ★★★☆☆
鴎外の歴史物が自らと同じ医者などを扱いながら資料集、歴史探訪、研究の呼び掛け、情報募集の意図をもつように、この本は武術者、無住心剣術とその近辺にスポットをあて、資料提供と研究の呼びかけとの意義をも持つものであろう。 ただ鴎外の記述にはただ資料を扱っているだけにも関わらず情景が浮かぶ節がある。江戸近辺を散策しているからだろうか。

 この書の内容はこのページの「商品の説明」にあるとおりである。この道に関心のある人は必ず興味を持つものであるので、内容ではなく自分のコンテクストを述べたい。

例えばこの本の最後にある最近の発見としての、胸を張らず「左右の手を離さず寄せて剣を持つ」という話を人にしたら、「どうせ人殺しの術だろう」みたいな言い方で、一蹴しようとするのである。それでいえば、不合理な身体の使い方をしているスポーツや身体芸術も、そういう制限ルールのもとで行っているゲーム、あるいは儀式なのだから、皆と同じようにやりなさい、ということになるだろう。赤信号、みんなで渡れば怖くない、である。

古の技術に興味を持っても、何故、見るだけになってしまうのか。

公式の学校化された歴史と違って、郷土史や個別の人物、技術史は個々人の探求が要である。そしてその個々人の追及の背景には、それを可能にする背景、条件がある。それは技術が技術として意味を持つ背景でもある。

近代化=学校化された社会と歴史的場所共同体とは背景・脈絡が違う。かつて意味があった脈絡が、学校化のコンテクストでしか裁断されないということになってしまう。かつての技術は、かつての背景とともに客観化され現在の背景と対応されねばならないという歴史性をもつ。


学校の教科は創造性は求められず、教師も伝達と受容、試験による結果のみを求める。身体は動かさず、空間は移動しない。こうした麻痺が十数年続き、いわれたとおりにやることだけが身につく。それが社会的に有利になり、会社でも学校化は続く。こうした学校化された精神で新たな身体技術を受け止めても、再び仲間内の誉めあいの官僚主義、組織主義に陥るだろう。現在の政治経済体制そのものである学校化の毒はすさまじく、容易に転位できない。

創造性とは何かがみえなくなってしまっている。学校は缶詰化のようになり、創造性は消えてしまった。

それを取り戻すことが、古来の技術に場所を与えることになるのではないか。