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蜂起 (幻冬舎文庫)

価格: ¥840
カテゴリ: 文庫
ブランド: 幻冬舎
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軽佻浮薄な文体に重いテーマが… ★★★★★
「圧倒的な非対称的権力構造のもとで抑圧された者たちが行使する暴力と、抑圧する者たちが行使する暴力を同一視しない(=あとがきから)」すなわち「テロ」を容認する著者が、様々なシチュエーションにおいて「抑圧された日本人」に対して、9・11を再現せよと「蜂起」を促す、その主張は極めて重く危険なアジテート小説…だが、その文体はあくまでも軽くユーモアとウイットに富んだ、頁をめくりだしたら止まらない超1級の痛快エンターテーメント小説でもある。
何故”痛快”であるのか-それは(多分)国民の大部分がおかしいあるいは不条理であると思いつつも看過しているあるいは諦めているあるいは気がついていない”真実”=『警官の不祥事』『警察とパチンコ業界の関係』『交通安全協会の中身』『新潟女性監禁事件時の県警本部長のその後』『強姦と和姦の境界』『政治家のパーティー券の行方』『都教育委員会の指導』『ブルセラ・援交の実態』『某政治家の愛人問題』『ヤミ金の実態』etc,etcーが随所にちりばめられているからである。[一部誇張があるかもしれない。しかし、裁判記録等の傍証も示されており、その大部分は真実に違いないと確信させられるし、「なるほどね」と思わせるエピソードも語られている。(例えば、交番に逃げ込んだ男が警官の目の前で何故ボコボコニされたか?等々)]
森巣博は警告する。このままでは、巷に浮浪者が溢れ、ポリタンクを手にした自爆テロが頻発し、放火が横行し、次々に飛行機が高層ビルに突っ込むと。『おかしいことはおかしい』と声を上げなければそういう社会が遠からずやってくると。
この点、村上龍の『半島を出よ!』とその根底にある思想は違うのかもしれないが、「現状に対する危機感のあまりに希薄な日本」に対する苛立ちは共通している。但し、村上龍は、侵攻してきた北朝鮮軍をアウトサイダーたちの活躍で壊滅させ、ある意味では丸く治めてしまったが(エンターメント小説としては『半島を出よ』もかなりだとは思いますが…)森巣博は、主人公の一人にテロへの決意を固めさせ、安易な結末を用意しない。
その軽妙な文体に似つかわしくない重く暗くそして絶望的なテーマを語った作品だが、著者はどこかでこの日本の将来に何とか希望を見出そうとしているのだろう。何故なら、著者は複数の主人公のテロ行為を必ずしも(多分意識的に)活写していない。何より裕子にパイロットになるまでの時間を与えているのだから…。
問題無し ★★★★☆
21世紀のエラスムス「痴愚神礼賛」、否、これはもはや新しい社会諷刺文学の金字塔であろう。トマス・モア曰く「羊が人間を喰い物にしている」さながらの偶像破壊力と得も知れぬポピュラリティ。誰にでも分かる様に噛み砕かれた不条理、稚拙かつ皮相的に綴る事で最狂のアイロニーをばら撒く。又、実験小説としての方向性も垣間見れ、真の前衛を模索した結果の文体なのかもしれない。ジョイスだろうがベケットだろうが、宗教?ジッドだろうがサキであろうがオコナーであろうが、不条理?アルベール・カミュ?知らねぇなぁ。何でも構わない。カール・マルクス?あぁ共産とは?否、私はお国の為にイキガッているカス共の、知性の欠片も見当たら無い行動習性を裁きます。私は愚民を裁く女愚神です。はい、この国はユートピアではありません。全国の労働者よ団結せよ!え、内的独白ですか?ありませんよ。僕は革命を指揮します。あぁ、太陽が眩しい。
賛否両論とは、その芸術が最も優れている証拠である・・・ゲーテ
私は読む事を薦めます。結果はどうであれ。内容を構成するのは正に人間であり、否定するあなたの姿であり、肯定するあなたの姿でもある。
森巣違い? ★★★☆☆
自他共に認めるMG狂だが、今回はちと読みが捗らぬ。1/3でエージング。
それぞれが世界の片隅で蜂起せよ! ★★★★☆
こうした作品が、新・旧左翼新派、左派ジャーナリズム(シンパ)、ネイチャー系シンパの人たちが作っている週刊誌に連載され、なおかつこの出版不況の中で単行本化されることにオドロキと共に、やはり快哉を叫ばずにはいられない。何がどうあれ圧倒的なマイノリティだからだ。
小説として世界文学に達しているなどとは、さらさら思わない。しかし自分ばっかり探していて自分のなかで迷子になっていたり、己の恋愛が世界的に大問題だったり、勝ち組とかいう「ビジネス成り上がり」を夢見て自己啓発などとという浅ましくも卑しいジャンルの本に嵌ってみたりといった若人が多い中で、森巣博はほとんど異形の存在感を放っているように、彼ら若者や卑しいビジネス本編集者には見えるに違いない。彼らは異様にナイーヴなのだ。
高齢化社会を迎え、早晩成り上がり系統の「自己中啓発書」は廃れるだろう。そのとき、この書のなかで蜂起するような人々への想像力を持ちえるかどうか、それが生きていくうえで大きな試金石になるであろう。
「テロリストのレシピ」 ★★★★★
ものすごい本が世間様に出されてしまった。改めて読み返して、そう思う。表紙はライフルを片手に日の丸を振りかざすジャンヌ・ダルク。帯には「リストカットを繰り返す女子高生よ、セクハラに耐えるOLよ、懲戒免職された元警視よ、伝統的右翼集団塾長よ、そして野宿者たちよ。壊せ。壊し続けよ。憤怒の炎が首都を焼く。落とし前をつける相手は、「日本」というシステム。世情騒然、人心騒乱、現代を映す黙示録的戦慄!!」という煽り。不吉である。不謹慎である。でも、これがまたとんでもなく面白い。著者の言葉を借りれば、「失うものは住宅ローンしかなくなった奴ら」は「どこのガソリンスタンドでも購入可能な透明な液体によって、文字通り火を噴」けるのだ。「小泉純一郎日本国総理大臣流にいうのなら、――やればできる」、というわけ。感動した。

そんな本書は真面目な読者に叩かれた。掲載誌の週刊金曜日では抗議の意味で定期購読を中止してしまった人までいたとか。それでも「テロリストに希望はない。希望がないから、テロに走るのである」という本書の問題提起は、単なる有害図書として片付けてしまうには重すぎると私は思う。著者があとがきで告白している無力感と、小説全体を貫くシュールなリアルさは、実は表裏一体だ。なぜなら「失業革命家」が『不朽の自己責任』作戦で「われらがシンちゃんのおわす(もっとも、ほとんど不在だそうだが)都庁」を爆破しようとする小説の不謹慎さも、1日に100人の自殺者と1人あたり1000万の借金を生み出している日本の現実という不謹慎さの前には軽く「負け組」となってしまうから。

本書は誰でも作れるテロリストのレシピだ。あなたが気づかないうちに作っているその料理の、あなたに気づかれないうちに作られているその料理の、正体をこの本で確かめてみてください。