この本を読んで一番伝わってくるのは、著者の一遍に対するあつい思いだ。
一遍聖絵という絵巻物をもとに一遍の遊行の始まりから終わりまでを丁寧になぞっていく。その中で一遍の行動や歌を著者が解釈していくのだが、それこそ宗門の方より一遍を良く理解しているのではないかと思えるほど、著者の一遍への思いはあつい。
『一遍の境地には一切の執着は無いのです。念仏が念仏しているだけのことであって、念仏も往生するための念仏ではない。そこにあるのは無だけなのです。無心の念仏、無我の念仏とよんでもよいではないでしょうか。』
一人の念仏者として一遍を知るには最適の書。