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屋上への誘惑 (光文社文庫)

価格: ¥500
カテゴリ: 文庫
ブランド: 光文社
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   著者は、いま最も注目されている詩人の1人。『永遠に来ないバス』(1997)で現代詩花椿賞を、『もっとも官能的な部屋』(1999)で高見順賞を受賞。本書は初のエッセイ集だ。40篇のどれも、日常よく見るシーンを入口に、柔らかな言葉で、ゆるい傾斜の坂道を上るように、じっくり書き進めていく。それは、大方の読者の、感情や思考の足腰のリズムに沿った速度なので、読者も実際にその場で視界を共にし、物に触っていくような快さがあり、官能的でさえある。

   たとえば、娘に自分と同じ「悪」のにおいを嗅ぎつけた母の怒り、人肉をむさぼるようにカニを食らう男女の寸景、大枚を懐に一人そばがきを愉しむ瀟洒(しょうしゃ)な老人とのひとくさりなど、小説に発展していきそうな篇があり、あるいは体温のある言葉で思索された批評の篇がある。また、内外の詩についてのエッセイも多く、その語りの魅力に案内されながら、普段あまり読まない詩に出あう楽しみもある。

   屋上といわれて、どこを想像するだろう。デパートの屋上、それとも職場のビルの屋上か。ここでは学校の屋上。夕暮れ、彼女はたったひとりで何を、誰を待っている? もう誰もいなくなった屋上の闇に、ボールのバウンドする音だけが響く。屋上は、何か起こっているのに忘れられているような、寂しい場所だ。ケイタイさえ持っていれば人にとりあえずつながるが、そのケイタイで、殺し殺される関係にも陥る。現代を生きる若い女性たちが、ハンドバッグに蔵っている不安と孤独もまた、この一集には漂っている。(中村えつこ)

日常にひそむ非日常と、自分の「孤独」をえぐり出す詩人の魂 ★★★★★
 1991年から2001年まで、さまざまな媒体で発表されたエッセイ40本が、ランダムに詰め込まれた初エッセイの文庫版。通奏低音になっているのは、小池さん独特の明るい諦観、あるいは静かな世界崩壊感に思われた。
 「一編の詩のほうが、自分自身より大きい」という言葉への思いや、「私はそもそも……「私」を使うことが大変しんどい」というやるかたない気持ちが、いきなり吐露されて、戸惑わされる。 そして、、そもそも当たり前の日常に見えていたもの、たとえば蟹を食べているあいだの沈黙、店じまいする人たちの暗いシルエットは、「靴を脱ぐとき、…… 普段はぬがない、よけいなものまで脱いでしまうのではないか、と恐怖にも似た…… 違和感」をともない、見知らぬ景色として立ち現われてくるのだ。 『文庫あとがき』には、「本書で確認したのは、当時のわたしも孤独であったなあという事実でした」とある。自分の内奥にひそむ「孤独」を、自覚的にえぐり出しつづける彼女は、怖い作家だと感じた。
小池昌代のエッセイの肌ざわり ★★★★☆
小池昌代さんのエッセイ集である。
90年代〜2001年まで時期的に、かなりばらつきがあり、テーマも統一されていない。どれも3ページから6ページほどの短いエッセイ。コラムという姿のものもあれば、書評みたいな恰好をしているものもある。詩が紹介されるものもある。

とにかく雑多である。それがとてもいい。
小池さんの詩が、深いところから来る言葉だとすれば、彼女のエッセイは、迂闊な自分をゆるしてくれそうな言葉が並んでいる。つまりは読みやすい。

彼女の詩は、理解されることを警戒している。これらのエッセイにはそれがない(と信じたい)。だから、安心して寝るまえに読める。

彼女の詩は、寝る前に読んだらたいへんなことになる(かもしれない)。寂しくなるから。本当はこれらのエッセイにもたくさんのサミシサが転がっている。でもそれはホオズキくらいの大きさなので、いくつでも食べられる。

よくわからないレヴューになってきたが、このエッセイは、やっぱり、小池昌代の作らしく、胸をきゅっと刺激した。