司法の独立という幻想
★★★★☆
本書は、司法の独立という幻を見事に打ち砕いてくれる、快著である。具体例も挙げながら非常に分かりやすく書かれているので、広く一般の人にも読んでもらいたい。司法行政が下位の裁判所に示した、裁判官の人事評価サンプルなども載っており、興味深い。
裁判官はそれぞれ独立したものとして判断を下すべきである、という建前はあるが、実際は最高裁事務総局を頂点とする行政機構によって縛られており、独自の判断などは望むべくもない。10年毎の任命権を握っている事務局に嫌われたら、弁護士へと下る他はない。
独立した司法とは言っても、予算は財務省に仰がなければいけない。また毎年、2割程度の裁判官が、法務省訟務局に出向しており、そこで国の弁護を担当している。検察庁に出向する裁判官もいるし、裁判官の法令解釈を絶対的に統制するために存在する、裁判官合同・協議会では、法務省の官僚や、検察官が数多く参加する。
何のことはない、裁判所は行政や、検察庁と密接に癒着しているのである。もし正義感に溢れた裁判官がいても、便宜上、最高決定機関とされる最高裁判官会議の決定に逆らうべくもない。ヒラメ裁判官と呼ばれるゆえんである。
他の官僚組織と同じように、最高裁事務総局を経て、最高裁判官になれるエリートは一握りであり、判事補になって2〜3年で、局付けに抜擢され、他の有象無象の裁判官とは異なったキャリアを築いていく。彼らはろくに裁判の経験も経ずに、他の裁判官たちを統治するのである。
戦後になって司法省は消えたが、官僚的統治機構や行政機構との癒着が厳として存在し、行政訴訟や、国策捜査の案件などについての公正な裁判は、決して望めないのだ。本当の改革が望まれる。
知られざる司法界の位階構造
★★★★☆
立法、行政とならぶ三権のひとつ、司法をつかさどる裁判官の世界がどのような位階構造になっていたのかを教えてくれます。
日本の司法において、「判事補・裁判官の任用と再任用、転勤、昇任、報酬、部総括指名、人事評価」および「裁判の運用、法解釈などの助言・指導」によって、絶大な権限と権力を握っているのが、「裁判をしない裁判官」であるところの、「最高裁事務総局」です。彼ら、司法官僚というエリートは、判事補時代から選抜され、特定のコースをたどって昇進していきます。こうしたエリートたちによる、司法支配は、従来の法解釈や見解を墨守する傾向を生み出し、ことなかれ主義を蔓延させます。
著者は、こうした司法官僚による支配打破のためにいろいろな提言を行います。基本は、裁判官のそれぞれの独立を確保し、情報公開を積極的に行うことでしょう。概ね首肯できます。
「司法行政」の問題点を指摘―「司法改革」に一石を投じる
★★★★★
本年5月21日から裁判員制度がスタートしたけれど、裁判の当事者でもない限り、私たち市民から司法(裁判所)の中は基本的に見えにくい。それでも、世間の耳目を集めているような裁判については、マスコミなどを通じて公判内容等を窺うことができるが、本書の考察の対象となっている司法行政機構(司法官僚制)などの実情に関しては、全くと言っていいほど世に知られていないだろう。とりわけ、「司法制度改革」の議論においても、裁判部門はともかく、司法行政部門の改革は、ほとんど手付かずの状態にある、と思われる。
こうした状況も踏まえ、著者の新藤宗幸・千葉大学教授は、「日本の司法行政機構の頂点に位置している」(p.77)最高裁判所事務総局などの権力構造にメスを入れ、「司法行政官(司法官僚)」たちの実態等に迫る。そして、最高裁をはじめとする各級裁判所における「裁判官会議」の形骸化や、判事補・裁判官の任用と再任用、転所(転勤)、昇任、報酬(昇給)、人事評価等に関する透明性の欠如、情報公開の不徹底、さらに“判検癒着”の温床とされる「判検交流」の弊害など、司法行政上の問題点を広範囲にわたって指摘する。
1947年の最高裁判所発足以来、「日本の司法は最高裁判所の内部に、強大な権限を実質にもつ司法行政機構=最高裁事務総局を整備してきた。そして、一般の職業裁判官とは別に、一部のエリート職業裁判官を選別し司法行政にあたらせてきた」(p.17)。その司法行政部門が、裁判官の「独立と自治」及び各級裁判所の「分権と自治」を侵し、「官僚制的な『統制』」(同)を加えているとしたら、本末転倒も甚だしい、と言わざるを得ない。当書の中で、著者は価値ある提言も行っており、「司法改革」に一石を投じる書物であろう。
最高裁判所事務総局による上命下服の実態と、裁判所情報公開法成立への提言
★★★★★
約3500人の全国職業裁判官人事機能を果たす最高裁事務総局を中心とし、その役割、組織運営、構成員のキャリア、弊害を解説した書。
判事がヒラメとならざるを得ない実態は既知だったが、その本丸である司法行政機構についての本は初見であり、行政指導のように事務総局側の「従わせるための利益の供与と制裁」を支える、裁判官合同・協議会による『執務資料』を用いた裁判統制、最高裁判決に相当の影響力を持ち、エリート裁判官の経歴の一つである調査官、仮面を被るように国側代理人の訟務検事や刑事訴訟の検事にと顔を変える裁判官、本人にも開示しない人事評価、明確なルールが明らかにされていない転所・昇任・裏金にされている蓋然性の高い昇給等多岐に亘って主権在民を形骸化し、国の番犬たる捜査機関等を守る意味もあって、裁判官をヒラメ化させるべく幾重にも張り巡らされているシステムについて詳しく学んだ。
憲法76条3項及び『裁判所法逐条解説』との乖離や、集権的な人事政策による害を政治は問い、裁判員制度のような誤魔化しではなく、裁判所情報公開法の制定のような根本に手をつけねばならないが、そんな政党は未だない。
高度職業人報酬に細かな段階制度を設ける必要性は低く、裁判官の自立を担保する為の増員、サバティカル(研究休暇)を含む研究・研修の充実、事務総長・各局局長等枢要ポストの職業裁判官専有ではなく、プロパー職員の登用、法的に開示請求権を市民が持たず、開示に伴う苦情申立もできず、裁判所側も法的開示義務がないような欠陥だらけの『司法行政文書開示要綱』に代わり、裁判所情報公開法を制定する事から司法は開かれるとの提言にも頷いた。
裁判官制度もはじまり、ようやく裁判が身近に感じられている今、最終章に見られるような司法改革を提言しているこの著書の意味合いは大きい。
★★★★☆
聞き慣れない表題であるが、読み進むうちにこの表題がもっともしっくり来ることがわかる。
我々は裁判官というと、法の番人であり一人一人が独立した考え方の持ち主であるとおぼろげながらも感じている。
ところが、ここにあるのは最高裁事務総局という裁判官の人事すべてを取り仕切る組織のもと、10年ごとの任用という強力な手段を用いてその考え方まで支配しているピラミッド型組織であり、行政組織の官僚機構とうり二つの組織である。
裁判官の人事考課表や評価の事例なども網羅され著者の取材力には感服させられる。
裁判官制度もはじまり、ようやく裁判が身近に感じられている今、最終章に見られるような司法改革を提言しているこの著書の意味合いは大きい。