後世に残す戦記
★★★★☆
9・11といえば、誰しも「同時多発テロ」を思い浮かべることでしょう。ならば、3・20といえば?
1995年3月20日に、通勤ラッシュの東京にサリンが撒かれるという「同時多発テロ」が発生した。事件当時、著者は旧陸軍近衛歩兵連隊の流れをくむ第32普通科連隊の連隊長でだった。本書は、3・20の長い長い1日の記録を著者の記録やかつての同僚・部下の証言でつづる、まさに「戦記」である。
「都内に毒物が撒かれた」という連隊長への第一報は、当初、現場の隊員にも深刻に受け止められなかった。「それは警察の仕事だろう」 しかし、事態は死者12人・重軽傷者5500人以上を数える未曾有のバイオテロの様相を呈する。どのような毒物が撒かれたのかも正確に把握できない現場。そこへ部下を送り込まねばならない指揮官の苦悩。地下鉄構内へと入る隊員の恐怖。「これはひょっとすると戦後初の治安出動になるのか?」という制度面での不安と混乱。
「戦記」とは文字通り戦闘の記録である。そして、戦闘であるならば当然に考えるのは「次の攻撃はあるのか、ないのか」ということだろう。地下鉄サリン事件がオウムによる「奇襲」であるならば、次に来るのは本格的な戦闘である。もちろん、現在の我々は二の矢が飛んでこなかったことを知っている。しかし、あの日の騒然とした雰囲気ならば「毒物散布で都内に混乱をもたらした後に、本格的な攻撃が来る」と考えるのはむしろ当然であろう。そして、この書では、本格的侵攻に備えた「幻の作戦計画」の存在が明らかにされている。
サティアンのあった上九一色村と教団施設があった都内を主戦場と想定したこの計画は、第一師団総力による戦闘計画であり、自衛隊史上類を見ない治安出動だった。
既に地下鉄サリン事件は、単なる「事件」として風化の一途を辿っている。しかし、海外では単なる事件としてではなく「バイオテロ」としてとらえ、万が一自国に起きた場合の対応策整備に余念がない。「当事者であった我が国では、あのテロ事件の教訓が活かされているのか」という著者の訴えは重い。