講演の舞台は、アメリカ、ハンガリー、北京、ドイツ、日本など世界各所にわたる。基調講演者として、シンポジウムのパネラーとして、そして中学生との対話集会のゲストとして、大江は真摯に語りかける。本書で行われているのは、19世紀後半から20世紀の近代日本史を再検討し、同時代状況を見据えつつ、未来の新しい人に向けてメッセージを託す、という作業である。
起点となるのは、幕末から明治にかけて日本の近代化に貢献した福沢諭吉であり、福沢を読み直すことで戦後民主主義の理念を築きあげた丸山眞男であり、丸山ともかかわりがあり日本においてユマニストの思想を打ち立てた渡辺一夫である。彼らの仕事を綿密にたどりながら、戦後民主主義者としての大江自身の立場が明らかにされる。
大江は歴史教科書問題に見られるような、日本における新しいナショナリズムの風潮と戦後民主主義否定の動きをバックグラウンドとする「鎖国の思想」に対して警鐘を打ち鳴らす。そして、近代の始まりにおいて実現された民主的な独立国家としての日本が、超国家主義へと変節し、戦争へと突入していった歴史を反復させてはならないと説く。
鎖国の危うさを指摘し、昨今のインターネット状況を踏まえ、世界に開かれた自立した個人同士の横のネットワークの重要性を説く大江の言葉には説得力がある。(榎本正樹)