地元の過去を見つめるSF
★★★☆☆
この作品の舞台は、九州は熊本市の高台にある「百椿庵」(ひゃくちんあん)である。この屋敷には実際に著者も幼稚園の頃からしばらく住んでおり、幽霊の噂もあった。この小説は、自分の住んでいた屋敷が実はタイムマシンで、その幽霊が幕末から来た女性であったとしたらというSF的な想像力によって創作されたものである。
主人公の井納淳(いのう・じゅん)は駆け出しの作家で歳は30歳、熊本が舞台の歴史小説の執筆活動に専念するために、百椿庵という古屋敷に住むことになる。しばらくして彼は若い女の幽霊を見る。その女にまた会えないかと家じゅうを探索するうちに、屋根裏に不思議な装置を発見する。その装置を組み合わせたところ、やがて実体化した女が現れる。女はつばきと名のる20歳の幕末に生きる女だった。
物語は淳とつばきの純粋な恋愛感情を中心に、現代から幕末へそしてまた現代へと展開するわけだが、ラストを除くと、あらすじにはあまり意外性はない。おもしろいのは細部の描写である。幕末の熊本の風景や風俗、人物の描写が具体的で、著者の資質がSFだけではなく歴史小説にもあることがうかがえる。特に食べ物の描写は見事で、読んでいて、つばきの手料理やお店のお婆さんの作る団子などはわたしも食べたくなった。SFでありながら著者の目が過去を向いているところに、この小説のおもしろさがあるとも言えるだろう。