レセムの魅力的な第5作にあたる『Motherless Brooklyn』(邦題『マザーレス・ブルックリン』)は、冒頭の一文のみならず、全体が実に見事に練り上げられた文章で構成された作品だ。トゥーレット症候群に悩む探偵ライオネル・エスログが、自分のボスであるフランク・ミナを殺した犯人探しに挑む様子を縷々(るる)と語る。ミナは、聖ヴィンセント少年孤児院で暮らしていた10代のライオネルとその友だちを集め、表向きは片手間仕事を与えて(とても奇妙な仕事だ)、数年間仕込んだ末、探偵チームを組ませた。その「ミナ一家」が、これまでで一番きつい事件に直面する。ボスであるミナが、道路わきのゴミ容器から、何者かに刺されおびただしい血を流した姿で発見されたのだ。ミナは犯人についていっさい語ろうとはしなかった。たとえ、自分が病院に向かう途中で息絶えようとも。
探偵?ブルックリン?これが、前作『Amnesia Moon』で終末論的世界をうたい上げていた同じレセムだろうか?信じられないが『Amnesia Moon』も『Motherless Brooklyn』も、同じレセムの作品なのだ。しかも、この思いきった転換は相当の自信に裏打ちされている。前述の「歯ブラシ」の引用にも見られるように、レセムは本書で、うんざりするようなしきたりをまったく新しいものに変えてしまう偉業を成し遂げた。ブルックリンなまり?「そんなの関係ないじゃーん」だ。
レセムが書いた会話は、まるでプロボクサーのフットワークのように軽快だ。ライオネルのトゥーレット症候群という設定も、気軽なジョークのつもりなのかもしれない。だがレセムの筆力で、読者はライオネルと一緒に早口でまくしたてる感じを同時体験し、彼に同情的したりイライラしたりする。もちろん、本書はミステリーである。だが『Motherless Brooklyn』は、いわば人の見方によってどうにでもとれる生け花のようなものだ。チックに苦しむライオネルの語りで、この世は不思議いっぱいの様相へと様変わりし、この作品はいきりたったような猛烈なスピードで、ひたすら前へと爆走を続ける。