糞袋
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本書は1995年に第7回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞している。
篤実な筆致とはいえ、これほどアナーキーな小説に賞が授与されたというのは、日本の文学賞の歴史でもきわめて稀なことかもしれない。もしこれほど理性的で読みやすい文体をそなえていなかったら、おそらくこの作品は『ドグラマグラ』『家畜人ヤプー』と並べられて三大綺書と呼ばれていただろう。
糞尿に関してどうやら特殊な感覚を持っているらしい少年「イチ」が中心になって、18世紀の京都の風俗文化思想詩歌が、万華鏡のように展開される。ファンタジー、綺想、幻想文学、空想時代小説マニア必読の傑作である。
400字詰め原稿用紙換算約300枚。
【抜粋】
要するに、食うものが違うと、出るものも違うというのだ。町人のものは、しょせん貧乏人のものである。大した飯を食っているわけでもなし、もう人間様の方で栄養は吸い尽くしてしまって、臭いすらたいしてしない。
それに比べて、公家の屋敷から出るものは、そもそも人数の割に出る量は多いし、またその臭いこと臭いこと。いったい何を食ってるのだろうと、つい集めた肥えたごの中をかき回してみたくなる始末であった。
それだけに、汲み取らせて欲しいという者も多く、大きな御屋敷では、年に一度肥えとり一同を屋敷に呼び集めて、その年一年の肥えとりの競争入札をすることもあった。一番お礼のいいところに汲み取らせてやろうというのだ。
そうなると、お礼の方も野菜少々というわけにもいかず、新米の季節には米俵——それも、当時は病害虫には強いが食味のよくない赤米が多く作られていたのだが、お得意さまにはぴかぴかの銀シャリの米俵——を届けたり、時には丹後の塩鯖などを、わざわざ買ってまで届けていたらしい。
また、神社などから汲み取らせてもらっていると、肥えとり一同、正月にはきちんと参拝して、破魔矢のひとつも買って帰ったりと、けっこう気を使っていた。肥えとり家業も、楽ではなかったようである。
ただ、お寺によっては、なまぐさ坊主が肉や魚を食っていて、臭いや見た目ですぐにばれてしまい、それをネタにゆすりをする悪どい肥えとりはんもいたとか……。
公家、旗本、寺社に加えて、一番人気の高かったのは、なんといっても花街「ぽんと丁」の肥えとりであった。
確かに、ぽんと丁は高瀬川のすぐそばなので、運ぶのが楽ということもある。
ただそれだけではなく、花街の客は金を落としていくと見えて、けっこういいものを食って臭いものを出した。また、大夫や天神といった高級な女郎は、麝香の匂い袋をしたためていて、えも言われぬいい香りがしたという。その上、あぁこれはあの女郎が出したものかという興味もあろう。
一方、同じ洛中とはいっても京極の方から、一の舟入りへ運搬するだけでも大変であった。それも、ろくなものを食っていない長屋連中のものである。
また、長屋では糞は大家のもの、尿は店子のものという取り決めがあったことから、長屋の中には水増ししてお礼を少しでももらおうという連中がいた。そのため、下手をすると水増ししたものを遠路はるばる運ばされる羽目になる。
洛中の肥えとりの縄張りは村々の力関係によって決まっていたため、違う村の肥えとりが顔を合わすと、縄張り争いのいざこざが絶えなかった。ときには、肥えたごを投げ合っての大喧嘩になった。
【作者プロフィール】
藤田 雅矢(ふじた まさや)
京都市生まれ。京都大学農学部卒。農学博士。
一九九五年、本作品で第7回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞。著書に『蚤のサーカス』『星の綿毛』『クサヨミ』のほか、絵本『つきとうばん』、園芸書『捨てるな、うまいタネ NEO』『ひみつの植物』などがある。