作者の視点はどの登場人物からも一歩離れ、彼らの思考、感情、表情を細かく描写している。そのため読者はまるで映画のカメラを通して見るような形でイザベルの人生を眺めることになる。まさに言葉で描かれた一人の女性の「肖像」なのである。
ヨーロッパの文化とアメリカの文化の対比と述べたが、厳密にはアメリカ人としての純粋さをなくし、経験の故にずる賢くなったヨーロッパ在住のアメリカ人の中で、ヨーロッパを自分の目で見てみたいという強い希望を持ってやって来た若く聡明なアメリカ人女性が騙され、打ちのめされながらも、必死に自分の信じているものを守り貫こうとする物語となっている。しかし、単純にヨーロッパが悪で、アメリカが善という図式で成り立っている訳ではない。
才気に溢れ魅力的なイザベルが自分の判断力を信じ、自らの人生を選び取って幸せになれるはずであったのだが、自分の判断力を過大評価し、周りの意見や忠告にも耳を貸さない頑なさが災いして、思いもよらなかった運命に巻き込まれていく。気が付かぬうちに、確かにヨーロッパ化したアメリカ人の策略にはめられてしまうのだが、結局、これはイザベル自身が選んだ結果であり、周りの意見を聞いて、考慮しうることができたとしたら、防げたかもしれない運命なのである。
また、ヨーロッパ化したアメリカ人にもどことなく喪失感が漂っており、祖国にもヨーロッパにも完全に根を生やせなくなってしまった空虚さが、彼らの人物像に深みを与えているのである。
作者はイザベルを単に悲劇のヒロインとしてその人生を描くのではなく、ある一人の女性の心の襞を丁寧に描いて、一枚の「肖像を」作り上げている。
読者はその「肖像」を自分の好きな角度で鑑賞できる魅力がこの作品にはあると思う。私は、挫折をしながらも不器用なまでにの信念を通そうとするイザベルの生き方が好きである。自分で選んだことに対して責任を持つということを彼女は放棄することをしない。
自分だったら同じ生き方はできないかもしれない、そう思いつつ彼女の生き方から目が離せなかった。是非一度手に取って、自分がイザベルだったらどうするかを想像する楽しみを味わっていただきたい。