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街道をゆく〈29〉秋田県散歩・飛騨紀行 (朝日文庫)

価格: ¥504
カテゴリ: 文庫
ブランド: 朝日新聞社
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「東北の山河や海をみたいとおもったが、どこへゆくというあてはない」。」 ★★★★☆
秋田散歩と飛騨紀行が並列されているが、2/3は秋田散歩で、
その半分ほどの分量で飛騨紀行がある。

秋田散歩はその名の通り、最初は著者の知り合いの小ネタから始まって
だらだらと70頁ほど進む。いつもの司馬節になって、熱がこもり、推進力が生まれるのは、
菅江真澄が現れてから。そして内藤湖南、安藤昌益といった名前が出始めると、
もう司馬ワールド全開。

飛騨紀行の方は、「飛騨へはゆるゆるとゆくことにする」という文章から始まっているが
最初から、濃密な司馬世界がひろがっていく。

街道をゆく(29)秋田県散歩・飛騨紀行の読後感 ★★★★★
 司馬遼太郎さんが亡くなられて13年になろうとしている。連作“街道をゆく”をずっと読んでいるが、恰も傍に司馬さんがおられるような感じを持つことがある。
 秋田県散歩・飛騨紀行もまたそうであった。
 連作のどれもが、各地の「街道」にことよせた「その地にまつわる歴史の細部」が具体的に再現されているような思いをもたされることが書かれている。
 通常の歴史書では知る事が出来ない話が全編を通じて語られている。日本における歴史書は西暦紀元前の中国の人・司馬遷が書いた「史書」が大きい影響を齎したことにより書かれ始めたとされている。古事記、日本書紀が最初の歴史書とされている。これらは、歴史の各時代における國の統治者をめぐる様々な出来事、争いなどを中心に据えて書かれているようにも読み取れる。
 併し、司馬さんの「街道をゆく」は、各時代における人々の精神活動(文化)がどのようなものであったかについては私どもが知っている歴史書には皆無ともいえるような、つまり殆んど出てこないことばかりが書かれている。
 ひとことでは言い表しがたいが、秋田県の東北部の現在の鹿角市や岐阜県の飛騨地方は、それぞれの県の中では、それぞれ別の国のような地理的背景を持ちつつ「文化と人の交流の積み上げ」によって、どのように発展し今日に至ったかを知るヒントになるようなことが書かれているのである。
 このような著作は司馬遼太郎という作家だからなしえたことであり、氏の博覧強記とも言うべき知識の豊富な事は驚異であり、氏の読書の範囲の奥深さには畏敬の念すら覚える。
 街道をゆくを読むに当っては、日本の歴史年表における時代区分を知り、各時代の政治・経済・軍事(争い)などの概略を知り、その時代の社会構造を知れば、一層の興趣を持って読むことが出来るものと思う。
無名の偉人をとりあげた「秋田県散歩」も秀逸な1冊です ★★★★★
おなじみのシリーズで、今回は、秋田県内、および、益田街道沿いをめぐる2本が収録されています。
「街道をゆく」を始めとする、著者の著作では、優れた業績を残しながら、歴史上、有名でない方がとりあげられるのも、一つの楽しみですが、それが端的に表れたのが、「秋田県散歩」です。著者の膨大な博識の引き出しから出される、そういう人々の業績に触れ、「一体、どういう人で、どんな人生を送ったんだろう」と夢想することは非常に楽しい作業で、今回も楽しませて頂きました。
飛騨は、自分自身も旅したことがあるのですが、単なる観光旅行では気づかなかった飛騨の街の歴史がわかり、この本をもって、再度、旅してみたいと思わせるものでした。
シリーズのファンの方には、お奨めの1冊です。
司馬を神格化せずに楽しみたいもの ★★★☆☆
手塚治虫と司馬遼太郎は、死後あまりに神格化したがる勢力が多いことが目に余り、個人的に若干不愉快であるとともに、些細な誤謬もこの両人に限っては存在しないような礼賛を繰り返しても何の益もないと思う今日この頃です、

両人ともに「極めて優れたストーリーテラー」であることを第一に取り上げずに「文明批評家」のような扱いをされていることに不満を覚えます、「一部勢力」にとっては「アンチ~~」のためにとても利用しやすい作家なのだろうとも思います、

司馬の文章に頻出する、「と思われる」「であろう」「に違いない」「この時代の~ほど~~において~~~であったのもまれであろう」といった表現こそ司馬の評論家としての限界なのだと充分理解するだけの知性は必要でしょう、

本書の「占守島」の稿で司馬は終戦後の「昭和20年8月18日」から帝国陸軍とソ連軍が交戦した占守島の戦いを「無用の戦い」と記します、司馬には戦争に無用の戦いなど存在しないのだという認識が無いことが明確にわかる文章で、なにゆえに司馬はノモンハンを小説化できなかったのかという長い間の疑問が氷解した個人的にはとても重要な一稿です、

ちなみに「占守島の戦い」とは、米軍の北海道上陸前に北海道半分の占領を企てたソ連軍が千島列島最北端の小島「占守島(シュムシュ)」にカムチャッカ半島南端から攻めこんだ戦いです、ソ連軍はいったんは島への上陸に成功するものの、盛り返した日本軍占守島守備隊の攻撃によりあやうく殲滅されそうになったところで勝っている日本側から休戦を持ちかけ(何故なら日本はポツダム宣言を遵守しようとしたからです)て戦闘が終了した闘いで、樺太守備隊の活躍と共に北海道のソ連占領を事実上阻止した無用どころか第二次大戦の最も記憶されるべき戦いの一つです、