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リキッド・モダニティ―液状化する社会

価格: ¥3,990
カテゴリ: 単行本
ブランド: 大月書店
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現代を問う ★★★★☆
現代社会を問うバウマンの著作。
本書のタイトルにもなっている「リキッド・モダニティ(流動的近代)」こそ
が現代社会を読み解く鍵になっていると彼は指摘する。注意が必要なのは、近
代以降の連続性を示すために、ポストモダニティとしてではなくモダニティと
して「リキッド・モダニティ」を唱えているところである。

近代化以降現代までを、前期近代と後期近代とにわけるとするならば、バウマン
は前者を固定的近代、後者を流動的近代と呼んでいる。その違いが本書では5つ
の概念(解放、個人、時間/空間、仕事、共同体)との関わりで述べられている。
この発想が一貫しているので、読んでいても主張が明確に読み取れたように思う。

近代は、個人化の歴史でもある。世襲的身分などの帰属的地位が優勢な前近代、
階級的類型が優勢であった固定的近代、続いたのは人々をくくる類型が溶解し、
(形式的には)個人のみとなった流動的近代。この個人化が人びとの絆までも
失わせ、様々な憂慮すべき事態が生まれた。これは、絆を失った人々が、不確
実性、不安定性、安全性の欠如(バウマンは「穢れた三位一体」と呼ぶ)から
逃れようと行なう「悪霊払い」である。「悪霊払い」は、自己目的化した消費、
連帯や協力ではなく消費と化した仕事、排除による「自然な共同体」の創出と
演出などがあげられている。

文章も覚悟していたよりも非常に平易で読みやすかった。お薦め。
ポストモダン研究必読の書 ★★★★★
東浩紀は大きな物語が力を失った後の現代社会において、人が他者とともに紡ぎ出す間主観的な欲望ではなく、「データベース」との照応作業によって生産された欲求に耽溺するという「動物化」を予見した。
鈴木謙介は、データベースとの照応によって再帰的に自己を獲得し、躁と鬱を繰り返す生き方をカーニヴァル化と呼んだ。
さらに山田昌弘は、流動化する現代の雇用環境において、永遠と続く単純作業の中で希望もろとも生き埋めにされる若者を論じ、希望格差と名付けた。

日本の現代思想において、少なからぬ影響力を持つこれら言説は間違いなく、この本からヒントを得たと言っていいだろう。ユダヤ人社会学者ジークムント・バウマンが書いた『リキッド・モダニティ』。

人間は何のしがらみもない自由な状況にこそ不安を覚えるのは、エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』の教えるところである。本書では、個人が形式的に自由になった(された)近代以降において、雇用も、資本も、共同体も流動化していき、持てる者が財力によって共同体を形成し、持たざる者はその外にうち捨てられるというディストピアを描く。

リキッド・モダニティ。はたしてそれは「終わりの始まり」のことなのだろうか。
留意しなければならないのは、著者バウマンは現代を必ずしもモダン“以降”、つまりポストモダンととらえているのではなく、さらに彼自身もポストモダニストではなくモダニストと自認しているということである。彼は現代も近代の一様態ととらえる。秩序と管理に満ちた前期近代を「固体的」と評するのに対して、正体の掴めない液体のような現代こそがリキッド・モダニティなのである。
だから、その点でバウマンは楽観的なのかもしれない。氷もいつかは溶けて水になる。その逆も然り。彼がそのようにして、近代の「逆流」も、想定している。 つまり、元の近代に戻るという選択肢も考えているのだから。
流転する現代に対する透徹したシニカルさ ★★★★★
激しく変化する現代を思想エッセイ風にまとめた同時代診断。本書の特徴は、そうした時代に対する反動に対し、シニカルにかつ透徹したまなざしをもって反論する点にある。共同体論や公の私に対する介入論に対する反論部分は、論理的に徹底しており小気味良い。