一人だけで読むにはもったいないです!
★★★★★
私はこの本の誕生を心から嬉しく思います。
ノーマさんの多喜二さんへの語りかけからぐいぐい魅せられ、一気に読みました。
モノクロでない、色つきの多喜二さんが立ち上がってくるように感じました。また、多喜二さんと、多喜二さんを語るノーマさんとの距離も魅力なのだろうと思います。
そして、文学ではないと排除されてきたプロレタリア文学運動の意義を、すくいあげてくださったことにほんとうに感謝しています。あの運動は、冷笑をもって批判されがちだったように思いますが、わたしはずっとその批判に違和感を抱いていました。なぜ弾圧した側―天皇制ファシズムをあまり批判せずに、運動の方を批判するのか、わけがわからなかったからです。あの運動は、世界を変えようと、芸術的才能ある若い人々が命をかけたものであり、また暴力的に壊滅させられたことで、歴史的にみても文学史的にみても絶対切り捨てられるものではないと思います。運動の負の面ばかりあげつらねたり、また多喜二さんのテクストを硬直した読み方で切り捨てては喜んでいる人たちには、語り合う必要はないと思っていましたが、ノーマさんの本を読んで、そういう考えの人とも話ができるのかもしれないと思いました。多喜二さんを頭ごなしに否定するひとは、自分の無力を肯定している人なのかもしれないと感じました。
「世の中をどうすることは出来ない」という、あきらめを乗り越えていった多喜二さんが確信したのは「芸術の世界、想像と創造の世界は便利な逃げ場であると同時に、世界に立ち向かう力を養う空間でもある」ということ。芸術の底知れない力を知った気がします。本当に勇気をもらえる、こちらのなかに力が漲る芸術観を多喜二さんが持っていたんだなと感動しました。
また、遺体写真にまつわる感受性の鈍磨の問題。。。いろいろ考えなくてはならない問題の引き出しがあって、まだ宿題は終わりませんが、ノーマさんの本でいろんな人と語り合えそうな気がしています。自分一人だけで読了するのではなく、なるべくいろんな考え・立場の方とともに読みたい本だと思います。
小樽出身者の感想
★☆☆☆☆
小樽にゆかりのある多喜二の評伝、しかも外国の方が書かれた本ということで、期待感を持って読みました。しかし、どうも観点に少しフィルタがかかっているように感じられ、もう少し客観的に、かつ背景にもっと小樽の街の情景・人情などを絡めて、叙述していただきたかったと思います。
長い間の恐怖心
★★★★★
ずっと昔に蟹工船だけは読んだことがあります。
ごつごつした文章とむごたらしくて怖いシーンに
「すごく立派だけど好きとは言えない」印象でした。
そしてなにかで見た彼の遺体の写真・・・
あまりに怖くてトラウマになりそうでした。
小林多喜二の名を聞けば
必ずその虐殺、拷問死が連想されて苦しく、
崇高な、命がけで信念を貫いた厳しい闘士のような人と思っていました。
こんなにほがらかで明るい人だったんですね。
取り上げてある文章からも彼の熱、理想を持つ人の明るさを強く感じました。
多喜二さん。
そう呼びかけるノーマ先生も彼が好きになったんですね。
東京に出て殺されるまでのところは
やっぱり怖すぎて読めませんでした。
結末がわかっているだけに辛すぎです。
でも買ってよかった。
とても品のある内容と文章でした。
こんなやさしい人を拷問して殺しちゃった大日本帝国。
「昔はよかった」なんてやっぱりうそだと思いました。
多喜二の偉大さに気づいた
★★★★★
まず外国人である著者が、埋もれかけていた小林多喜二に光を当て、向き合い、寄り添って本書をまとめられたことに感謝します。その綿密な考証と記述が小林多喜二の姿を彷彿させてくれます。私が学生時代に小林多喜二の作品を読んで心打たれたことが鮮明に思い出されました。活動家として文学者として命を賭して闘った小林多喜二の生き方に私は羨望にも似た感情を抱いたのです。しかし、本書を読み、小林多喜二はそれ以上に人間として偉大であったことに気づかされました。何十年ぶりかに彼の作品集を読み返してみようと思います。
ノーマ教授は読者からの返信を待っている
★★★★★
源氏物語を研究するアメリカ人が、21世紀をどう生きるかということを問う旅の友に、"小林多喜二"という青年作家を選んだことに正直驚かされる。著者はその何故いま多喜二なのか――という私たちの問いにも真摯に、そして誠実にこたえようとしている。
▼新聞・雑誌の書評も、日本経済新聞(朝刊) 2009年3月8日(インタビュー)、朝日新聞(朝刊) 2009年3月8日、相模経済新聞 2009年3月1日号、神戸新聞(朝刊) 2009年3月1日、婦人通信 2009年3月号、秋田魁新報 2009年2月28日(インタビュー)、しんぶん赤旗 2009年2月22日、秋田魁新報 2009年2月22日などと続き、メディアも広く関心を寄せている。しかし、それらの書評を見渡してみても、アメリカ在住の、ここ数年の仕事のまとめとしての本書を超える多喜二文学研究の今日的な高所遠望の書評は書かれていない。これはまた不思議な現象に見える。
▼本書の企画は、岩波新書の企画担当の坂巻氏が岩波のホームページに書いているように、「蟹工船」ブーム以前の「朝日新聞」2005年4月7日付・夕刊に載ったノーマ・フィールドのエッセイがそもそもの発端であった。しかし、坂巻氏の関心は「いまどきプロレタリア文学なんて、ほとんど時代錯誤」というものだった。それから3年の歳月を要して、この一冊が誕生したのだった。
▼ノーマ・フィールドはこの3年の間の1年間、多喜二ゆかりの小樽に住みつき、ゆかりの人々を執拗に、そして誠実に心をこめて語り合い、とうとう「多喜二さん」に出会った。さらに、秋田の多喜二の母・セキの系譜の人々を訪ね、東京の遺族をも訪ねた。すでに生きた多喜二に接した人々の多くは鬼籍に入っていたものの、まだ直接に多喜二を語る人々がいた。しかし、多喜二生誕106年・没後76年という現在では、ノーマ教授が直接に話を聞いた方々もすでにこの世の人ではなくなってしまった。
ノーマ教授が、足を運び、語りあった日々こそが、人々の心の中に生きる多喜二の像を語り合う最後の機会だった。「頭からではなく」「胸の奥底から」、小林多喜二という青年を語りあう――まさしく一期一会の旅であったろうと思う。
▼アメリカ人のノーマ教授が、多喜二ゆかりの人々に「体全体でぶつかって」日本語で取材し、多喜二の全生涯と、全作品、全書簡、全日記をくまなく読み解いて、日本語での書き下ろしという挑戦をなしとげた。そして血も汗も涙も通う多喜二文学の世界を照らし出してくれた。
ノーマ教授が可能としたこの仕事のバトンは、本書の読者に渡された。本書を全力で書きあげたノーマ教授は、今度は私たち本書の読者がノーマ教授に、多喜二への思い、現在の日本と世界を生きる青年たちへの思いを、『私たちはどう「蟹工船」を読んだか』に応じた青年たちのように、この世界と真向って発信することを待っているだろうと思う。