現代日本の若者がおかれた状況のするどい分析
★★★★★
ハーバードの教授である著者が日本の高校などで丹念にききとり調査をおこなってまとめた日本人へのメッセージである.かつて日本の若者は「場」のなかで就職し昇進してきた.つまり,高校を卒業すると就職先が斡旋され,就職先でも年功序列にしたがっていればよかった.しかし,いまやそういう「場」は崩壊してしまった.
変化してしまった日本社会のなかで若者とその周囲のひとたちはどうすればよいのか? 著者は 4 つの提案をしている.そのなかには,周囲のひとがもはや「場」が存在したときの生き方ができないことを悟るべきだということもあり,アメリカ社会におけるようなウィークタイズを強化するべきだということもある.4 つともアメリカ社会が解決のヒントになっているようだ.
アメリカなどからまなべばそれで問題が解決するのかどうかは疑問だ.しかし,すくなくとも日本人にはみえにくい部分もふくめて,するどい分析をしているところにこの本の価値がある.
説得力はあると思うが
★★★★☆
1.内容
今の若者は、正社員として就業せず、フリーターやニートになる者がいるが、彼等がけしからんというわけではなく、1960年〜80年代にあった「場」が崩壊した故といえる。その場が崩壊して不利益をとりわけ被っているのは、(申し訳ないが)学力レベルが低い普通科高校の生徒である。このような状況は、不況が過ぎれば元のように「場」が復活するかの議論があるが、産業構造の変化も一因なので、期待できない。となると、どうしても転職を繰り返す人が出てくる。そのような人が幸福に過ごせるように、「ウィークタイズ」の基盤を強化する(学校以外の場の参加)などを社会は検討すべきである。
2.評価
直感的で申し訳ないが、著者の主張には一定の説得力があると感じた。ただ、(1)本田由紀さん(だったと思う)流の、職業高校増加と同様の説得力に過ぎない、(2)玄田さんに遠慮がある(玄田さん流の「ニート」概念を引き継いだり、批判がある玄田説(p35)を無批判に受け継いでいるように見える)、(3)正社員でも解雇されやすい(白川一郎『日本のニート 世界のフリーター』(中公新書)参照)アメリカとの比較がどうか(特殊なところと比較をしてもねぇ)、以上3点より星1つ減らして、星4つ。
外国人ならではの分析か
★★★★☆
ロストジェネレーションがロストしたのは、「場」であるという
主張は、陳腐のようにも思えましたが、高校という「場」の変化が
そのことと関係しているという指摘を客観的なデータを用いて
なしている点は、画期的だと思います。
社会に対して発言力を持っている人間には、高卒の人たちの姿は
中々見えにくいということと、ロストジェネレーションの問題は
政治的な問題として語られ、政治的な主義主張により歪められて
しまっている可能性が高いことから、外国人の冷静な視点からの
論考は貴重です。
この本を読んで面白いと思った方には、吉川徹「学歴分断社会」も
読むことをお薦めします。
外からの視線に蒙を啓かれる
★★★★★
現代日本社会論の名著である。行政担当者や高校教員が読んで、本書レベル
の議論を基本認識にしてくれたら、09年の日本を包んでいる先の見えない
空気も少しは変わる可能性があるのにと痛切に思う。
1.高校卒のブルーワーカー層という着眼点
誰も大きな声では言わないが、日本の高校教育制度は学力によってはっきり
輪切りにされている(周知の事実である)。いわゆる学歴社会が問題にされ
ることは多々あっても、本書が主要な問題としている低偏差値校の就職問題
をメインに据えて日本社会が論じられることはほとんどなかった。学力低下
問題も、むしろこちらを焦点をあてるべきであることがわかる。かつての日
本が誇っていた「秩序ある社会、多くの人々の気くばりの精神と控えめな態
度、あからさまな争いごとを好まない傾向」はそういうブルーワーカー層が
支えだったのだ。読者である私は、いわゆる進学校の教員なのですが、反省
とともに蒙を啓かれました。
2.日本社会を支えてきた「場」の論理
本書でいう「場」は、故阿部勤也いうところの「世間」と多くの場面で重な
ると思う。顔のつながった人間関係である「世間」が、よくも悪くも日本社
会をつくってきたのに、いまゼロ年代に進行しているドラスティックな変化
がその「世間」をさえ解体するものだとしたら…。
これは射程の長い、重大な問題提起だと思う。
3.学問の力量
日本社会という対象に惚れこみ(著者は、恋という言葉を使っている)、文
献を読み込み、フィールドワークを行い、基本データを統計処理して客観的
な数値にまとめ、そして検証可能な形で論文にまとめる。学問というのは、
斯くあるものだろう。しかし、それがここまで力を持つようになるのは、実
は稀である。学者の仕事って、大変なものなのだと感じ入りました。
多くを教えられた読書でした。
大変感動しました。ありがとうございました。
★★★★★
僭越ながらアプローチのバランス、現地調査における着眼点、そして最後の明快な提案(提言)まで、とても納得いくもので、特に3,4,5章は大変重要なところで、学校という「場」と労働市場という「場」をつなぐタイズにおける高校の役割の変遷のところは本当に素晴らしいと思いました。
私が感動する理由を考えてみると、一つにはデータ分析とナラティブな聞き取りの二つを共存させてることのできている研究であること。(なかなかないんだよね)、それらに基づき、明快な「提案」が打ち出されていること、それから何より、やっぱり私が短大につとめているので、いわゆる地方の商業・工業高校出身者がいて、その人たちについて感じること、すなわち、そういう子たちの方が、(社会的に有用な)潜在能力が高いのはなぜだろうということ。(逆に言うと、短大なんかに来るレベルの普通科出身の子たちの難しさがあるのかもしれない。)を最近つねづね感じていたので、その回答にもなっていたこと、があると思いました。
最後にひとつ、微妙なところだけれど、提案3で若者が変わるべきであること(p.204)、提案4で、社会が変わること(p.205)が挙げられているけれど、ロスジェネの「若者」がターゲットであるこの著書の内容から見れば、社会ということ同時に、もう少しいえば、タイズの部分を担う就職担当の高校教員とか、企業の採用の人事担当者とかの「大人」がとくに、変わらなくてはならないのではないかな、と。それは、若者に要求することにもましてまず重要ではないのかなと思いました。
そのことは、ロスジェネ?の若者が労働市場でうまく立ち回れないことを自分のせいにするのが不思議だという見解にも重なるんだと思う。文化の違いというよりは、なぜ自分のせいではないのか、知らないし当然教えられていないからではないかなと。
最後に、翻訳が大変素晴らしいです。オリジナルが外国語であったことを全く感じさせない。