信者でもアンチでもないので★四つにしておきます。
★★★★☆
幸福実現党が国政選挙に出て二回になりました。(2010/7現在)
彼らが何を考えているか知りたくて、この本を手に取りました。
幸福の科学がちょっとわかったような気になったところを抜き書きします。
P94に、−「税金ありき」の国家運営を根本的に見直さなくてはいけない−
これは、国は暴力の装置としたマルクスの理論を補助線にしてよめば、ああなるほどです。
P175にある、−「憲法試案」前文で、従来の基本的人権が高度に昇華された−
から始まる文章は、ニーチェの神なき現在、超人を目指すべしという思想と通じます。
公に出版される本であるのでオフィシャルな発言であることは差し引いても、
あぁ、大川さんはインテリなのだなと思いました。
間違っているなどとは思っていない
★★★★★
去年、衆院選に惨敗して申し訳ありませんでした。
自分達は間違っていました。
などとは決して思っていない。
今のままで行けばこの国は政治的にも経済的にも没落する、場合によっては北朝鮮、中国に恫喝され、最悪は中国の属国に成り下がる可能性が極めて高い、とわかっているからやっている。
信者や支持者のためにやっているわけではない。
現代の日本で、宗教が政界へ進出するなど批判を浴びる事など十分わかっている。
わかっているが、やらなくてはならないからやっているのだ。
宗教が政治に進出することの意味とは。
★★★★★
この書籍の冒頭に、「政治とは何か」ということについて
「この世から不幸を追放する」という具体的な活動であり、
この世とあの世を貫く幸福の「この世の幸福を実現する」部分に当たると述べられている。
宗教が、多くの人々を救おうとしても、政治が漂流し、経済が破綻した状態で、
「救ってください」といわれても、かなり厳しく、
現実に多くの人々を救うには、政治や経済の安定が必要であることは、
『理想国家日本の条件』『愛、悟り、そして地球』や昨年発刊された
政治的なメッセージの書籍において
なんども、なんども述べられている。
1987年、講演会『愛の原理』にて、総裁は、以下のように述べられた。
幸福の科学の運動は、
第一段階ととしては宗教改革のような様相を呈するかもしれません。
けれども(中略)これは第一段階であります。
第二段階として、私たちの教えは、
さらに日本の国を改革していく運動として起きてくるのであります。
政治の改革、経済の改革、教育の改革、芸術の改革、文学の改革、企業制度の改革、
根本からすべてを変えていくのです。(中略)
日本の国自体が、もう一大きな土台作りをやっていかなければならない。
そのための大きな揺さぶりというのが出てまいります。
そのときに、また明治維新の志士たちのようなユートピア作りの戦士たちが、
数多く現れてくると思います。
1987年 5月31日 『愛の原理』にて (書籍『幸福の原理』所収)
政治への進出は、
この「新たな国づくりの時が来た」といいうことを示している。
「大きな揺さぶり」が現実に起きてきたと言うことだ。
そして、昨今の続く「霊言集発刊」は、
「明治維新の志士たちの再来」を示している。
この流れは、先の選挙を契機として、「始まった」のである。
川の流れば、その源流は小さくとも、
下流では、大きな大河となる。
流れ始めた川の流れは小さくとも、
「流れ始めた流れ」はとどまることがない。
時間とともに、大きな大河になってゆく。
そう、「賽は投げられた」のだ。
あとは、ただ、ひたすらルビコンを渡るのみである。
政教分離を考えさせる一冊
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たしかに世界文明や国は宗教によってできている。日本もそうだ。その原点に戻そうという主旨なのだろうか?
しかしながら、日本は潜在的には宗教を認めていながら、表に出てこないのが不思議だ。
これも戦後の左翼教育なのだろう。
保守派と言われている人たちも結局、左翼的になっているのではないだろうか?
そういう意味でも興味深い一冊だろう。
この書籍を読んだが、こういう記述があった。
「国の政治が乱れ、国難に陥っているようなときには、その時代を代表するような政治家は、
やはり、政治に対してもきちんと意見を述べなければいけません。
それが、どうしても聞き入れられないようなときには、今回、幸福の科学が幸福実現党を立党したように、
ある程度、自分たちの意見を反映すべく、具体的な活動に参画することも、
時代によっては、ありうることであると思っています。」
(41ページ)
しかし、幸福実現党が宗教を全面に打ち出しているのには驚く。
日本の政治とっても、面白い展開だろう。
納得と感動
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昨年の衆院選全敗の幸福実現党が、再び今夏の参院選に挑戦する理由が良く分かる本。メディアに無視され、恥をかき嘲笑を受けながらも戦い続ける姿には「強い意志」というよりも「祈り」をより感じるのは私だけでしょうか?