芭蕉は情緒的・求道的、蕪村は軽妙な離俗に特徴がある
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古典俳句を語る時、芭蕉と蕪村を抜きにして語れない。「芭蕉は情緒的・求道的、蕪村は軽妙な離俗に特徴がある」と言い切る自信はないが、解説書の類からそうしたイメージを持つに至った。芭蕉俳句集は、一気に速読してもよいし、時間をかけて熟読するのもよい。また、人生時々読み直してみるのも、味が出るように思う。芭蕉は情緒を直接的に表現すことに拘りがないようだ。一方、芭蕉には芭蕉の人生観や世界観があり、それを核にして俳句を展開するために、求道者的な臭いが強くなることがある。前者と後者の例を私なりに引いてみよう。
元日やおもへばさびし秋の暮
山路来て何やらゆかしすみれ草
旧里や臍の緒に泣くとしの暮
さびしさや華のあたりのあすならふ
おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉
身にしみて大根からし秋の風
おもしろやことしのはるも旅の空
行はるや鳥啼うをの目は泪
塚も動け我泣聲は秋の風
命なりわずかの笠の下涼み
旅人と我名よばれん初しぐれ
草の戸も住替る代ぞひなの家
夏草や兵共がゆめの跡
月さびよ明智が妻の咄しせむ
頓て死ぬけしきは見えず蝉の聲
塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店
この道や行人なしに秋の暮
此秋は何で年よる雲に鳥
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
子供のような<求道者>
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芭蕉という人は、一般に俳句一筋の、<求道者>と言われているようである。はたして、本当にそうだろうか。
閑さや 岩にしみ入 蝉の声
さびしさや 岩にしみ込 蝉のこゑ
上にあげた二句を比較してみると、芭蕉にとって、「閑さ」と「さびしさ」とは、ほぼ同義であったらしいことがわかる。これを裏返せば、芭蕉は、にぎやかなことが好きだった人なのではないか、と私は思ってしまう。
富士の風や 扇にのせて 江戸土産
いま挙げた句など、お茶目な人柄が垣間見える。芭蕉の句には、「秋の風」を詠みこんだものが多い。ような気が、私はする。「春の風」、「冬の風」、「夏の風」を詠みこんだ句のインパクトが薄いからかもしれない。
石山の 石より白し 秋の風
秋の風 伊勢の墓原 猶すごし
見送りの うしろや寂し 秋の風
物いへば 唇寒し 秋の風
芭蕉の「さびしさ」は、いま挙げたように「秋の風」とともに詠みこまれている。私の勝手なイメージでは、「さびしさ」を感じるのは、むしろ、「冬(の風)」ではないか、と思っていたのだが、どうも違うらしい。
君火をたけ よきもの見せむ 雪まるげ
いざさらば 雪見にころぶ 所迄
雪を見てはしゃく姿は、〈求道者〉というよりは、子供のようだ。
すゞしさの 指図にみゆる 住居哉
<ずしさのさしず>、だけをとりだすと、この部分だけ<回文>になっている。芭蕉は意識していたのだろうか? それとも、偶然? 意図してのことだとすれば、芭蕉は言葉遊びを句に盛り込んだことになる。子供のような芭蕉が、ここにもいる。
結論、芭蕉は、子供のような、<求道者>である。
芭蕉俳句集成の貴重なテキスト
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本書は芭蕉の作と明らかに認められる発句を制作年次順に配列している。927句最終句は「病中吟」三句ではなく、年次不詳等も含め、「別ればや笠手に提て夏羽織」
参考として存疑の部576句、その中には金比羅裏参道の芭蕉句碑「花の陰硯にかはる丸瓦」も含まれている。誤伝と明らかにされている発句も初句の五十音順で付け加えている。「おくのほそ道」で曾良の句としている「かさねとは八重撫子の名成べし」もここ誤伝の部208句に入れている。芭蕉の代作と説が多く、その可能性が強いと言われているので、存疑の部に入れるのがいいのかもしれない。
芭蕉発句集編纂には二つの場合が考えられる。一つは門人たちが芭蕉追慕の意をもって遺詠を蒐集しようとする場合、他は蕉風の亀鑑として作句上の粉本とする場合である。また、鑑賞を目的として編まれる場合は、注釈書の形をとっている。その間に存疑・誤伝が混入するのは避けがたい。本書はそれをさび分けようとする芭蕉俳句(発句)集成の貴重なテキストである。