ダメおしのホームラン
★★★★★
カナダ人のフランス語は、フランス本国では受け入れられない。と言われていたそうだが、当時そのような固定観念を覆すような大ヒットを記録した。これは、イントネーションが違うのが原因だそうだが、関西人の私には、もちろん判別不能だ。ところで私も数々のCDを購入してきたが、恐らく、このアルバムは90年代フランス音楽界におけるベストアルバムといえよう。すでにアメリカで大成功を収めていたセリーヌ・ディオンが、ジャン・ジャック・ゴールドマンという最高のクリエイターを迎え万全の布陣で望んだ「ダメおしホームラン」のような作品だ。成功するべくして成功したのだ。このアルバムにより、彼女のフランスでの人気は決定的なものとなった。仮にフランス人が歌っていたら、もっと湿っぽいアルバムになっていたのではないだろうか?まず、1曲目「Pour que tu m'aimes encore」関係の冷めた男女において、彼女が彼の気持ちを取り戻すための再生への想いを歌った曲である。途中ミディアムテンポに変わるところからの伸びやかなボーカルに彼女の表現力の確かさを感じる。このアルバムの幹となっているのは6曲目から8曲目である。こめられた一貫した想いを感じていただけるだろうか?特に8曲目「Les derniers seront Les premiers」に注目したい。日本語に訳すると「最後にくるものが一番になる」ウサギとカメの話ではない。いやそうかもしれない。曲の最後、不器用に声が重なる印象的なルフランは2人の祈り、または誓いだ。バックのコーラスは、羽が生えて自由に空を浮遊している。ジャン・ジャック・ゴールドマンは、コーラスが決して上手くない。だが、作曲家でなければ表現しえない曲の雰囲気を十分に伝えている。また、これまで肩で風を切るような押しの強い歌い方で聴衆を引っ張ってきたセリーヌ・ディオンだが、一歩引くことで洗練さを身につけたと思う。気に入った方は、「Live a Paris」も聞かれるといいだろう。