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精神分析の抵抗―フロイト、ラカン、フーコー

価格: ¥2,310
カテゴリ: 単行本
ブランド: 青土社
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残念な本 ★☆☆☆☆
 哲学的志向を失っていなかった最初期の論文は晦渋ではあったが面白い指摘もあって熟読に報いてくれた(現象学者の竹田青嗣は『声と現象』について、その中でフッサールがデリダによって形而上学的であるといわれていることは「表面的な指摘に過ぎない」というのだが、そんな大雑把なことが問題になっているのではない。表現という概念がフッサールの中で意味のぶれが大きすぎるとデリダは言っているのだ。これは現象学の側がもっと真摯に、概論ではなくテクニカルに考察すべき事態であると思うのだが)、そういうデリダだが、この本にはさすがに失望した。例えば冒頭の「抵抗」では、この言葉に何かしら精神的な引っかかりがあるかのようなほのめかしに始まり、謎めいた観念の動きが語られる。三流の小説中の心理描写に近い。理論であるよりはすべて複雑な形容詞であるが、結局そのなぞは明かされない。明かされないことに深い意味があるように初心者は思わされるだろう。
「フロイトに公正であること」でも、フロイトやラカンについて、何か語っているようであってうじうじとその周りをまわっているだけである。ここでもやはりまっすぐに語らないことに神秘的な意味があるかのようなふりをしているが、自己の神秘化という以外にその理由があるとも思えない。シュールレアリズムの自動筆記を想像させるが、そうだとしたら語彙の豊かさは驚くべきだ。
 デリダはどの程度自覚していたのだろうか。その数日前にハイデガーの『形而上学入門』を読んで、全く同様の印象を受けていたので、両者合わせて人間の「老い」を見せつけられたようで、個人的にはひどく悲しい本だった。