分け入つても分け入つても青い山(←使い方間違い?)
★★★★★
ルーマンの一番の泣き所はスペンサー・ブラウンの算法に依拠しているところだと思うのですよ。
ルーマンへ向けられた批判のほとんどには反論が可能なんだけれども、この点だけは、どうにも
批判者のおっしゃるとおりなんですよね(と、現時点では私は思う)。
しかるに、本書70頁には、次のような記述があります。
論述の展開がスペンサー・ブラウンの算法と、その特殊な論理学に連続していることを述べた
段に続けて、「この考察が前提にしているのは、その算法ではなく作動上の自律性である」と。
該当箇所には註があって、その註では次のように述べられています(347頁の註(25))。
「(略)この算法が純粋に論理学的に何か新しいものをもたらすかどうか(略)の探求には依拠
していない。認識論的な文脈をつけることだけがわれわれの関心事である」と。
どうも、ルーマンはスペンサー・ブラウンから距離を取ろうとしてるのではないかと(そのわりにゃあ、
あちこちで言及しまくりなわけですが)。
いや、ブラウンがめちゃくちゃ言ってることはわかってますよ、ただ、その発想からインスピレーションを
受けただけなんですってば、・・・ってルーマンさんが言っているように思えます。
なんとかスペンサー・ブラウンとか、その他の怪しげな用語法を分離して、ルーマンの議論(比較の
領域を開示するという意味での機能主義的方法と差異理論と)を再構築する筋道はないもん
かしら。
またもや、まったくレビューになってなくて恐縮です。