呆れる駄評論
★☆☆☆☆
はっきり言って、この橋本治という著者には三島由紀夫を論ずる資格がない。「仮面の告白」のなかの『根の母』を、三島の祖母のことだと恣意解釈する馬鹿さ加減には呆れた。三島文学の背景にあるニーチェの思想も知らないこんなレベルの低い駄評本が、大手出版社から出てるのが驚いた。
三島由紀夫の小説より面白い三島由紀夫論
★★★★★
私はこの本を読んで、なんで三島由紀夫の小説がつまらなかったのかがよく分かった。若い頃は天才に興味があったので三島由紀夫の作品を結構読んだが、面白いのは評論だけで小説はどれもつまらなかった。三島由紀夫を読まなくなって20年くらいたってこの本を読んで、それまでの謎が解けた。要するに自分は三島由紀夫が興味のあったことに全く興味がないのだった。そして松本清張が興味のあったことに興味があるのだ。三島由紀夫はすごいらしいがなんですごいのかわからない人に薦めたい本。
要するに三島はとてつもない理屈王だということが分かった
★★★☆☆
私には相当に難解な本である。ただでさえ橋本氏の文章は分かったようで分らない、でもそこが魅力という人である。それが私にとってはとんでもない難解王の三島を読み解くのだ。これは橋本氏クラスの頭脳の持ち主じゃないと大変に難しいし、題材が三島なのでさらにとんでもなく難しくなる。
私にとって三島の本というのは読んで必ず暗くなる、といった類の本だ。あの華麗な文章は天才的だと思う、が難しくてよく分らない。中には面白いと思う本もあるけど、読んだ後救いのない気分になる。何でだろうと不思議だったが、橋本氏の「助けてもらいたい、でも助けてもらいたくない」という文章で、それが分かった。
初めの1章は何とか読んだが、三島の本や文章自体が難解なのだ、それを読み解くのだから、途中で面倒臭くなって橋本氏のエッセンスだけ読んだ。そして分かったのは、三島という人はとんでもない理屈人間だということだ。現実を途中で放棄して理屈の上に理屈をつけて、さらにその上には理屈をつけてという風に、どこまでも理屈だけで自分を説明しようしとし、そしてそのように自分を作りあげる。理屈だけで生きるということがいかに空しいか、ということが分かった本だ。
橋本治、三島由紀夫と格闘する
★★★★☆
橋本治と三島由紀夫の意外な組み合わせに興味本位で手にしたが、橋本が三島の生涯と作品に本格的に格闘しており、読み終えた今充実感を覚えている。これまでに読んだ橋本の本では、饒舌体でシニカルな文章に馴染めず読み通すことが少なかった。これに反し本書は、三島の主要作品(遺作となった「豊饒の海」4部作、才気溢れる20代の「仮面の告白」と「禁色」、不振の30代の「金閣寺」)を丁寧に読み込み分析し、合わせて執筆時点の三島の内面に真摯に向き合っていて、晦渋ながら一気に読み通した。
といっても、全編いたるところに橋本流の独自性は健在である。本書の主論をなす「同性愛を書かない作家」と「女との恋愛の拒絶」は、類書にはないユニークな視点だ。また、三島の知性の構造を天動説に例え、他人に託した私小説作家との指摘は興味深かった。
これまで40年近くモヤモヤしていた三島由紀夫の市ヶ谷駐屯地での自決に到った背景が、本書によってようやく分かった気がする。
三島は「風」なんかになってない
★★★★★
三島文学賛美者の多かった生前から、その奇異な晩年・おぞましい自決後の乖離という時代も終わり、三十有余年を経て歴史の領域に埋没した平成の今、本書は時宜を得た出版である。
「豊饒の海」「金閣寺」を中心とした前編は作品論、後編は「仮面の告白」を挙げながら「同性愛を書かない作家」とみなしたり、「女」という方法を用いて「女は拒否する」男の彷徨が語られる。
著者の結論は三島由紀夫をもてあまして「なにものであってもかまわない」(327頁)かもしれない。多彩な執筆活動はするが本格的三島文学研究者とは思われない。しかし、この人特有の鋭い指摘には耳を貸さねばなるまい。それは三島由紀夫の訴えたものに我々は応ええているかという問いである。三島の問いを著者が重ねて問うている、そのことを読者は受けとめねばならない。
三島由紀夫が生きていた時代、そこにいた人達は、三島由紀夫にどう応えたのか? 果たして、その訴えに応ええたのか。三島由紀夫は、「友」を求めて、「男」となったのである。
(328頁)
「友」とは呼びかけに応えるものである。その時は言うまでもなく、三十有余年を経た21世紀生存者(生き残り?)が応えねばならない課題がある。三島由紀夫は死んで久しい? そんなことはない。輪廻転生を信じていた三島由紀夫は「風」なんかになっていない。何かに何者かになって【心ある友】を求めて再来しているにちがいない。