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三島由紀夫と楯の会事件 (角川文庫)

価格: ¥90
カテゴリ: 文庫
ブランド: 角川書店
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知と行ないが一致するのは動物だけ ★★★☆☆
<知行が一致するのは動物だけだ。>
<「知」は行動の一様式である。これは手や足を動かして行動するのと、まさしくおなじ意味で行動であるということを徹底してかんがえるべきである。つまらぬ哲学はつまらぬ行動を帰結する。なにが陽明学だ。なにが理論と実践の弁証法的統一だ。>
<こういう哲学にふりまわされたものが、権力を獲得したとき、なにをするかは、世界史的に証明済みである。> (吉本隆明の三島への“弔辞”。鶴見俊輔著『思い出袋』より孫引き)

先行レビュアーの評言にもあるように、本書のあの事件に到る経緯の解説は手堅いものだ。

それは別として、評者は三島のあの事件を奇天烈珍妙なスキャンダルとしてしかみない。
知は行動の一様式であり、読書も実践だと言おう。象牙の塔に籠もっての研究ですらも実践に他ならない。
弟子の森田必勝に「本なんか読むな。そんなことをすると行動できなくなる」と“指導”した三島(中村彰彦)は、自らが陽明学やら何やらやの理論にイカれ、その理論と実践の弁証法的統一をなさんと市ヶ谷に入ったのである。これをお笑いと言わずして何を笑う??

知と行ないが一致するのは動物だけ。全共闘学生にゴリラと呼ばれた三島ならではか。

啄木は書いた。

<われは知る、テロリストの かなしき心を・・・言葉とおこなひとを分ちがたき ただひとつの心を、 奪はれたる言葉のかはりに おこなひをもて語らむとする心を、 われとわがからだを敵に擲げつくる心を>

その哀しき心はいったいどこにあるのだろう? 行ないをもて語らんとする心は? それは三島が愛玩した陽明学や“武”の心なのか? 啄木は哀しき心を「知る」とは書いたが、行ないをもて語らんとする心は哀しいと書いたのだ。時代相を考えれば、啄木がシンパシーを抱いていることも理解できる。しかし、それはひたすらに哀しい心なのだ。

三島の事件は、おもしろうて、やがて哀しき滑稽譚でしかあり得ない。憐れというやつである。確かに世情の受けはあるわな。そして、その事件もスキャンダルとして消費されるのである。
動機、行動へのプロセス、時代背景を客観的に伝える良書 ★★★★★
三島が自衛隊市ヶ谷駐屯地でことを起こした昭和45年、小学校低学年のガキだった自分は、テレビを食い入るように見つめていた。
割腹自殺という行為が時代に合わないと、子供心に奇異に感じた記憶がある。

事件の大きさや、三島が訴えたかった主張の重さに比較して、この事件のことを伝える書籍はあまりに少ない。
この書は、客観的取材に基づき、事件に至る動機、行動へのプロセスを、時代背景とともに伝える良書だと感ずる。
三島の檄文が訴える内容には、39年経った現在でも根本的に解決していない事柄が多い。
三島を単に右翼と定義するのではなく、自虐史観が蔓延する今日の日本だからこそ、三島の主張は改めて議論されてもいい。

ちなみに、三島文学を知らない人にとっても、この書の敷居は低い。
ソノシートを聴いてみた ★★★★☆
 三島事件の衝撃は、団塊の世代といわれる昭和20年代以降の世代には、当時の「進歩的文化人」の跳梁跋扈した社会背景の中で、「日本とは何か」「自分のアイデンチティーは何か」を問うた事件であった。
 不幸にして、三島の最後の演説は、市ヶ谷の自衛隊員の怒号とマスコミのヘリコプターなどによって充分聞くことは出来ないが、当時、まだ中学か高校生だった小生は、週刊誌の衝撃的な「三島の首写真」とか演説の一部の録音をしたソノシートを持っている。
 こうしたものとあわせてこの本を読むと、三島の行動は、愚直であったし、自己陶酔であったかもしれないが、戦後失われつつあった「日本」とか『日本人』を喚起したものと思える。

 著者は、本書で、その時代背景とか、三島の行動を分析しているが、もう少し、当時の社会情勢というか、「日本」における言論界の状況その他について突っ込んだ主張をしても良かったのではなかろうか?

 その点が残念。
詳細にわたってよくわかる ★★★★★
 わたしはこの事件の起こった年の5月に生まれたので、当時のことは全くわからない。三島の思想や作品に興味をもち、楯の会のことをもっと知ろうとしても、この事件についての著書などは案外少ない。本著は手軽に入手でき、しかも事件について詳しく知ることができる優れた書物である。
 しかし、この書にも、三島が行った演説については断片的にしか書かれていなかったのが残念である。詳しい演説内容は、文字としては残っていないのだろうか。
三島が日本人に言いたかったこと ★★★★★
昭和45年11月25日に起きた三島由紀夫と楯の会による自衛隊市ヶ谷駐屯地の占拠、および割腹自殺の事件を追った傑作ルポルタージュ。
三島は日本文化のよりどころを天皇制に求め、彼の思想に共鳴した楯の会員達と自衛隊に向けて決起を呼びかけた。

新渡戸稲造の「武士道」の中で外国人より「日本では宗教教育がなく、どのように道徳教育を行っているのか」との質問に対し、彼は「武士道」がその役割を果たしている、と記している。

新渡戸の武士道の中には三島が理想としている世界観が広がっている。しかしながら今の日本に武士道は存在しない。ハリウッドから提示された「ブシドウ」に狂喜乱舞している我々を新渡戸や三島はどう思っているのであろうか。

読み物として大変知的好奇心を満たしてくれます。三島由紀夫に興味がなくとも、書店で出会ったら手に取って下さい。