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鴎外の坂 (新潮文庫)

価格: ¥660
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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一味違う鴎外の評伝 ★★★★★
 地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の創刊メンバーでこのところ活躍目覚しい森まゆみさんが、ほぼ1世紀前に近所に住んでいた森鴎外の評伝を、一味違う構成と視点から著したものである。一味違うとは以下のような点だ。
 まず構成については、各章はほぼ年代の順に、鴎外の暮らした土地と、関係の深い家族と、関連する鴎外の作品が割り当てられている。例えば7章「無縁坂」では、本郷・上野界隈を舞台に鴎外の妾せきと「雁」のお玉のモデルについて述べ、8章「二つの家」では、団子坂の観潮楼を舞台に鴎外と再婚した若妻しげの姑との葛藤と鴎外の私小説「半日」が扱われる。このような舞台と登場人物と作品の組み合わせは、新鮮で巧みだ。
 2つめには、足で調べた評伝になっていることだ。著者の近所の千駄木、上野界隈はもとより鴎外が学生期を過ごした向島や千住まで、現地を訪ね、歩き、往時を想像し、地元の古老から聴き取る。挿入されている当時の地図とそれへの著者の書き込み(散歩道や推定住居跡)や、鴎外家族の住んでいた家の間取り図はそれだけでも面白い。また、縁薄く亡くなった人のお墓を苦労して探し訪ねるところは、鴎外の史伝「渋江抽斎」に重なる。
 3つめは、鴎外その人よりも周りの人たちーしっかり者の母、離婚した最初の妻と再婚した2人目の妻、5人の子供達、弟竹二や妹喜美子―を丁寧に描いている。彼らが父や兄について書いたこと語ったことを引用することで、鴎外の人物像とその人生が浮かんでくる。「舞姫」のモデルエリーゼや、離婚と再婚の間に妾奉公した児玉せきについても言及しているが、彼女たちについての著者の挟む短い感想は、女性らしく細やかで暖かい。
 充足感を持って読み終えた今、本郷、千駄木、根津の坂道を逍遥し、まだ入っていない観潮楼跡の鴎外記念館を訪ねたくなった。
正直、ツマラナカッタ。 ★★☆☆☆
筆者の鴎外に対する思い入れ、印象がまずあって、それをなぞって行く感じがして、
正直、読んでいて、ついて行きづらかった。
つまらなかった。
(致命的なことに、作者が鴎外作品との個人的な関わりを述べる冒頭からして、既につまらなかった。)
鴎外のことをいろいろ知れるが、鴎外の作品について新たな見方、味わい方を得ることはできなかった。
表面的で、作品内部に深く突っ込んで行ってない。
人間鴎外・作家鴎外・鴎外作品と言う、批評家・研究者の冷静に見るべき三角形のバランスが成ってない。
要は人間鴎外の「ファン」でありすぎはしないか。
私は鴎外を日本一、二の文豪と思っているが、
読んでいて、自分も、筆者と同じように、筆者の行かれた道を巡りたいとは思えなかった。
鴎外、その人と作品の追体験 ★★★★★
「プロローグ『青年』が歩く」から文章が快調に展開する。作中の青年小泉純一が東京方眼図に従って歩く。坂の上と下、東京の貧富の差を地方出身の青年は三十分で実見する。著者もその追体験として歩く。歩行は、鴎外自身が精神の自由を堅く守り、孤独を磨くための技術であったと著者は推測する。
 団子坂に明治25年鴎外の居宅観潮楼が新築された。はるか品川沖の白帆が見えるというので、潮見坂と言い、観潮楼と名づけたのである。現在は表門の敷石の一部だけが残っている。かつてのたたずまいを著者はそこに訪ねていって、いろいろと空想を楽しむ。
 名作『雁』に無縁坂が出てくる。岡田の日々の散歩は道筋が決まっていて、無縁坂を降って、上野の山に向かうこともありも、無縁坂から帰ることもある。無縁坂とは幸薄いお玉の人生を象徴するような坂の名である。いくら心に思っても、相手に通じない、縁が無いと受け取れる。実は、坂の上に浄土宗無縁山法界寺という寺があったから名づけられたらしい。「無縁坂」を訪ねてくる人は、鴎外の『雁』の舞台としてではなく、さだまさしの作詩作曲した歌で来る人の方が多いという。この歌もまた忍従の女を歌っているのは、奇しき縁と言わねばなるまい。
「坂」という言葉は人生の坂道を象徴するのにふさわしい。書名『鴎外の坂』も、鴎外自身の歩いた坂道とか、作中人物の通った坂道であると同時に、起伏に満ちた鴎外の人生と文学を簡潔に表すのに最適の言葉であろう(雅)
都内にすむ散歩人にお勧め ★★★★★
以前から鴎外に感心を持ち、色々の評論も読んできた。この作者はその道の専門家でもないので、偶々古書店で見つけあまり期待もせずに買って読み始めた。と、その何気ないようでいて考え抜かれた切り口の書きぶりにすっかり魅了されてしまった。特に小生の如く、小説の舞台を歩いてみてより理解を深めようとする人間にとっては、野田宇太郎以来の傑作と思われた。これを読んで、フラリと千駄木辺りを歩けば、文学とはこんなものかとしみじみおもえるのではないか。日和下駄にあこがれるおじさん。
公平とはいいがたい ★★★☆☆
 鴎外に対し、崇拝の傾向の語り口は当時から現在まで続いているようだ。なかなか批判的な部分を打ち出しにくい力学もあるのかもわからない。
 個人の見方だから勝手だが、鴎外を微笑の人、とのみ捉えるのはどうか。小説やエッセイならかまわないのだが。評伝で読む場合はそれは一面であり、何かに踊らされているという気持ちも持ちたいものだ。
 結核も最初の妻、登志子にうつされたとしているが先行研究では、鴎外自身もともと保有者であったとしているものもある。後妻志げが日常の中で戯れに言った言葉に頼るのはどうか。鴎外最大の汚点である兵食の関係のこと、論争ではあきらかにかなりひつこくいやな性格をみせた事実も奇妙にもスポットを当てられない。名利にこだわる性格であったことと家の再興との関係など伝記では考察があってしかるべきだし、それはなにも鴎外の恥ではない。作品に迫る上でも必要だ。
 新潮文庫に入るということは一般の読者に対して大きな影響力をもつ。作品批評に力をいれた山崎正和『闘う家長』も絶版になっているようだ。一つの見方として「鴎外の坂」もこれはこれでよい。兵食論に関しては選書に『鴎外最大の悲劇』があるが、違う立場から迫った評伝も文庫に入れなければ公平ではない。大谷晃一『鴎外屈辱に死す』はどういう評価をされているのかわからないが、この本よりは客観的で考証はしっかりしていると思われる。